掃き溜めみたいな場所 そう言ったのは誰だったか。一時だけ家族になった子かもしれないし全くの他人かもしれない。 どちらにしても顔も声も思い出すことはできないんだけれど、 * 「あのさー郭、あたし心を読めるミラクルな人種じゃないから黙ってられてもなんもわかんないよ」 少し前に現れた少年はソファーに座るあたしを突っ立ったまま眺めているだけで何をするわけでもない。 そんなに見つめられたら穴が開きそうだ。胃に。 ちなみに我慢大会をしていたわけではないので先に口を開いたあたしは決して負けではないのだ。 「…」 「……」 「………」 「…………うん、まあ座れば?」 相も変わらずだんまりな少年に苦笑混じりに声を掛けると、何を思ったのかその場にぺたんと腰を下ろすのだから吃驚。 自分はソファーで郭は床って、えー。今ここに誰かが来たらあたしへの視線が絶対痛い。 「床に座れなんて言ってないよ。椅子でもこのソファーでも良いから、てか床に座るのは止めなさい」 無言のまま立ち上がった少年は椅子とソファーに視線をやって、だけどどちらに座ろうともしない。 あーもうじれったい!あたしはぐいっと少年の腕を掴んで強引に隣に座らせる。 …座ったと言うか、載った?されるがままのお人形さん(愛嬌はない)は背凭れの方を向いて正座のような体勢。 ぱちぱちと瞼を塞いだり押し上げたりしているところを見ると、実は結構驚いてるのかもしれない。 「で?あたしの顔をじーっと見てたのは何か言いたいことがあったからじゃないの?」 全くページの進んでいない本に目を落としながら隣に向かって言葉を放つ。 体勢を変えようともしないことに突っ込むのは止めよう。ちょっと疲れた。 「――……あなたは、」 沈黙が続くこと、どれくらい?まあ細かいことはわからないが漸く聞こえた細い声にあたしはなあに?と先を促す。 「どうしてこんなことをしているの」 「こんなこと?」 「役立たずが増えたところであなたの負担が増えるだけなのに」 「確かに。でもそれは今の話。あたしは先を見てるから」 「みんながみんなあなたのようにはなれない」 「でしょうね」 将来楽させてもらおうとは思っているけど強制するつもりはない。 ある程度力を付けた時に出て行くことを望まれたなら止めはしない。 好きに生きれば良いのであって、彼らの道をあたしが決めるなど馬鹿げてる。 「だから郭も好きにすれば良いよ。やりたくないならやらなければ良い。ここにいたくないってんならどうぞご自由に?」 「…、……」 「あんたを連れてきたのはあいつだけど、何もあいつの言うことが絶対ってわけじゃないでしょ」 ぱらりと一枚ページを捲れば再び静かになった部屋。静寂の所為で息遣いさえ良く響く。…ん? 隣の様子が可笑しいと気づいて視線をやれば、肩を大きく上下させ呼吸を荒くした郭が光のない瞳をあたしに向けていた。 「―か、!ッ」 その名を呼ぼうとした刹那、飛びかかって来た黒に勢いのまま押し倒される。 「結局あなたも捨てるんだ」 ギリギリと締め付けられる首。黒々とした静かな狂気と相対しながらもあたしの頭の中は平常運行を続けている。 捨てるってどういうこと?好きにしろとは言ったけど出て行けと言った覚えはない。 はてさて一体どこで間違った変換をされたのやら…。 「…、っく、」 声を出そうとすればひゅうと情けのない音が漏れる。 こいつ細いくせして意外に力あるのね。場違いにも感心してしまったが、これはそろそろ、マズイ。 好きにしろとは言ったがこのまま絞め殺されるのはご免被る。なるべく痛くないように加減はするから許してね。 動かそうとした身体は、ぽたり。目じりに落ちてきた雨によって停止する。 「どうせ捨てるなら最初から手を差し伸べなければ良い。あなたも、……あいつも、」 ぽたりぽたり、屋根の下で降る雨は止まない。 あたしは首を締め付ける白くて冷たい手に手を重ね、もう片方を伸ばして強引に頭を引き寄せる。 「ッ、!」 驚いたような息が肩に掛ると同時に締め付けてくる力が弱まった。 「元気があるのは良いけどさ、ちょーっとやり過ぎじゃない?」 息ができなきゃあたしも死ぬぞ。やれやれと息を吐いて震える手に力を籠める。 指の間を滑る髪が心地良くて、漸く落ち着いた呼吸が静かに笑みを落とした。 「聞こえてなかったみたいだから言うけど、あたしは郭を追い出すつもりはないよ。自分から出て行きたいと言うなら止めはしない。でも、あたしから出て行けと言うことはない」 ―理解った?耳元で言ったんだからもう妙な変換ミスはしないように。 縋るように握り返された手は、ほんのりと熱を持っていた。 * 「ここで寝ないでっていつも言ってるよね?」 「うー…あー……面目ない」 「態度で示して」 「ごめんなさーい」 「……今度がここで寝てたらそのまま外に捨てるから」 「あんたの冗談は笑えない」 「冗談だと思ってるの?」 どこか面白そうにあたしを見下ろす男ににやり、 「だって、捨てられるわけないでしょう?」 あたしを誰だと思ってんだ。やられる前に起きるに決まってる。 得意気に見上げた先の綺麗な顔はぱちりぱちりと瞼を上下させ、やがてゆっくりと涙を落とすように微笑んだ。 |