これは、あの子を酷く傷付けた、最低だったわたしの話。







「…泣いてるの?」


そっと頬に手を添えれば、微かに泣きぼくろが持ち上がった。 和らいだ目じりは乾いたままで、まるで彼の心のようだと、視界に膜が張る。


先輩」
「、うん?」
「俺ね、先輩が好きだよ。好きなんだ」
「……うん」
「どこで間違ったんだろ。どうすれば良かった?」
「…、……ごめんね。ごめんなさい」


きゅっと唇を引き結ぶ。じゃないと、今にも嗚咽が漏れてしまいそうだから。


先輩も、同じ気持ちだと思ったのにな」


痛いのはわたしじゃない。わたしは泣いちゃいけない。―でも、だけど、


「すきだよ、ふじしろくん」


あなたのことがほんとうにだいすきでした。






***






「ねえ!藤代くんってのこと好きなんだって!」
「、え?」


漫画みたいに、からん、握っていた箸が手から滑り落ちた。
突然のニュースに賑やかだった教室はぴたりと静まり、けれど、一瞬の後に何かが爆発したように声が弾ける。

何人かがわたしたちの周りに駆け寄ってきた音を聞きながら、渦中のわたしはと言えば、 滑り落ちた拍子に机からも転がり落ちてしまった箸の行方ばかりが気になって落ち着かない。


「はい
「あ、ありがとー!」
「こらこら!今あんたの話してんだけど何してんの!」
「え?だって箸がね?」
「箸なんていーからちゃんと聞きなさい!」
「いやでも洗わないとご飯食べられないし…」
「わたしが洗っとくから、はそのまま話してなよ」
「え、でも」
「いーからいーから。てかこの状況で逃がしてもらえるわけないでしょ」


ついさっきわたしに差し出してくれた箸を再び掴んだ彼女は、そう言って笑うとそのまま行ってしまう。
箸を洗うと言う任務がなくなったわたしは、机を取り囲んだ人達からの怒涛の質問ラッシュに目を回すことになるのだ。 ……というか、うん、聞きたいのはわたしの方なんだけど、なー。

盛り上がっているところ申し訳ないが、あの藤代くんがわたしを好きだなんて、ちょっと唐突過ぎる。


「…ねぇ、藤代くんの好きな人ってほんとにわたしなの?人違いとかじゃなくて?」
「なに言ってんのもー。ちゃんと園芸委員の先輩って言ってたんだから、以外いないでしょ!」
「てかあんた中学の時から藤代くんのこと好きだったじゃん!もっと喜びなさいよー」
「え!なんで知ってるの!?」
「だって隠し事ド下手なんだもん」
「……」


どうしよう、今、たぶん耳まで赤い。

恥ずかしくて嬉しくて、両手で顔を覆っても足りなくてがばっと机に突っ伏すわたしを追うように くしゃくしゃと沢山の手が頭を撫でてくれて、おめでとうの声がくすぐったくて、ムズムズする唇をきゅっと引き結んだ。


(ゆめみたい…。)


ジワジワ、ジワジワ、いつもは煩くて堪らない蝉の声でさえ、今はわたしを祝福してくれてるよう。
…なんて、自分でもばかみたいって思うけど、それくらい、うれしいの。







――ほんとうに、うれしかったんだよ。







週に一度、花壇の水やり当番の時だけが、藤代くんに会える特別な放課後。
部活に向かう彼の、楽しそうな横顔を見るのが好きだった。


「あの、さ。もう聞いちゃったかもしれないけど、俺っ……先輩が好き」


蝉の声も運動部の声も一気に遠ざかり、藤代くんの声だけが、酷くはっきりと鼓膜を揺らす。
どくん、心臓が落ち着かない。


「…先輩?」
「……うれしい」
「え、それって、」


指先が痺れるくらい、ぎゅっとスカートに皺を作る。
今にも震えてしまいそうな声を抑え込むように一度きつく目を閉じて、それから、


「でも、要らない」


ジワジワ、ジワジワ、伝ったのは音だったか、汗だったか。
全身に蝉が張り付いているような底知れぬ不快感と目映い笑顔の温度差に、くらり、眩んで


「、…え?」


本当はこの時に耳を塞いでしまえば良かった。逃げ出してしまえば、よかった。

だけどわたしの両足は地面に縫い付いたまま、一歩も動けなくて。


「君が好きになったのはわたしじゃないよ。だから、それは要らない」
「……、どういうこと?」


ぴたりと視線が重なって、また、心臓が嫌な音を立てる。


「わたしの一番仲良い友達がね、君のこと好きなんだって。あの子、明るくて可愛くて友達もいっぱいいて、…そうだな、 多分、あの子にとっての一番仲良い友達はわたしじゃないんだろうけど、でもわたしはあの子が好きなの。 誰からも好かれる子なのに君に話しかける勇気はないみたいで、中学の時から君のこと好きなのに一回も話したことないんじゃないかな? だから、わたしがあの子のフリをして大好きな藤代くんに好きになってもらおうと思ったんだ」


――嗚呼、わたしの耳、可笑しくなっちゃったのかな。
すらすらと、まるで台本でも読んでるかのように、唇から紡がれる台詞が耳を滑って行く。


「あ、一応確認だけど君、先輩の顔が好きなんじゃないよね?」
「……」
「あはは、ごめんごめん。頭ん中ぐちゃぐちゃで答える余裕ないか。 でも安心してよ、君が好きになった先輩はちゃあんと実在するからさ。―ね、?」


微笑んだ彼女の視線を追うように、藤代くんがゆっくりと振り返った。
二人の視線にわたしは、ただ、カサカサの唇を開いて、閉じて、逃げるように、下を向く。


「…待ってよ。俺が好きなのは先輩で、」
「うん。だから、あの子が先輩なの。わたしは…うーん、ナナシでいっか」
「…なんで」
「うん?あ、違うよ?あの子はわたしにこんなこと頼んでないよ?ぜーんぶわたしが勝手にやったの。 だからさ、君は安心して本物の先輩に告白してね。ほらも!そんなとこいないで早くこっちおいで? …あー、びっくりして動けないか。あはは、昼休みも箸落っことすくらいびっくりしてたもんね」


彼女の言葉に勢い良く顔を上げれば、昼休みに、代わりに箸を洗ってあげると言った時と同じ顔で、彼女は笑ってわたしを見ていた。


「…わかんない」
「うん?」


零れたのはわたしの声じゃなくて、わたしから視線を外して、彼女を真っ直ぐ見つめる藤代くんの声。


「なんで、…俺、全然わかんない。先輩、ほんとにその人のこと好きなの?」
「好きだよ?」


迷うことなく、寧ろ、どうしてそんな質問をされるのかわからないとでも言うように彼女が首を傾げたので、 わたしは愕然として、また、言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。

なんでだろう。どうして、そんな顔で笑うの?ねぇ、


「でも、そーだな。大好きだから、時々すごく、大嫌いなの」


そうやって、ちっとも悲しくないって、苦しくないって、そんな顔で笑うから、
いつもみたいに、笑うから、


「わたしね、あの子に勝てること一つもないんだ。だからちょっと、うん、なんてゆーんだろう…優越感?みたいな。 君と喋るあの時間だけは、わたしが唯一あの子に勝ってて、だから、あの時間はわたしにとって特別だったかな。 ―ま、君が好きなのはわたしじゃなくてあの子なわけだから、結局一つも勝ってないんだけどね」


酷く綺麗に笑った彼女が、くしゃり、精一杯背伸びをして藤代くんの前髪を優しく撫でる。


(……あ、)


伸ばされた手に、藤代くんが少しだけ俯いたのは、きっと、
わたしの知らない二人だけの特別な時間に、同じような光景が何度もあったから、だ。

すとん、と理解すると同時に、指先から力が抜けた。


「これでわたし、の一番になれた?」






***






「……あの子も、藤代くんのことが好きなんだと思うよ」


座り込んだまま動けない彼の頬に触れた手を、そっと離す。
藤代くんは、泣きそうな顔で笑ったまま、ゆっくりと顔を上げた。


「喋るの初めてだけど、俺、先輩のこと知ってるよ。水曜日の放課後花壇の世話してるよな?」
「うん」
先輩、…じゃ、ないんだっけ、あの人。あ、いーよ。言わないで。ごめん」
「…うん」
「あの人は火曜日で、いっつもさ、部活前のちょっとの時間、ここで喋ってた……ごめん、俺、今酷いことしてる」
「、…そんなことないよ?」


とても上手には笑えないけど、首を振って口角を上げれば、藤代くんは困ったように眉を寄せる。


「前に先輩言ってたんだ。一番好きが無理なら、一番嫌いが欲しいんだって。…俺、それ聞いてすっごい寂しくなっちゃって」
「…うん」
「これも、先輩のフリ?」
「…ううん。違う。わたしは、好きな人に嫌われるなんて嫌だよ」
「……、そっか。じゃあ、俺が好きになったのは、やっぱり、……」


ジワジワ、ジワジワ、繰り返す蝉の声に掻き消された続きを頭の中で呟いて、くらり、倒れてしまいたい。「ふじしろくん」。 きっとわたしは、彼を困らせることしかできない。言えない。それでも、


「藤代くん、終わりじゃないよ。終わりにしないで」
「、…」
「わたしね、わかんない。わかんないけど、そうやって今までずっとあの子のこと傷付けてたんだと思う。 でも、全部わたしが悪いなんて言えるほど優しい人間じゃないし、だけど、あの子のこと責めたいとも、思えないの」
「…うん」
「嫌いになれたら楽だと思う。でも違うよね。今こうやって苦しいのも、悲しいのも、痛いのも、あの子が好きだからで、でも、 ……わたしは、もうあの子の隣にはいられない」
「……うん」


耳の奥に残った彼女の声が、何度も、何度も、蝉みたいに、なくから


「藤代くんは、さよならしなくていいんだよ。追いかけて、捕まえて、叱ってあげて。…ね?お願い」


くしゃり、あの子の真似をして前髪を撫でると、藤代くんが、きゅっと唇を引き結ぶ。


「はいこれ、あの子の家の住所ね。寮じゃないけどそんなに遠くないから」
「……、ッごめん、ありがと」


鞄から取り出したルーズリーフを一枚破って差し出せば、藤代くんは一度視線を落としてから、しっかりと掴んで立ち上がった。
あっという間に遠ざかって行く背中を見つめながら、「ごめんね」。静かに呟く。


「…たぶん、藤代くんはあの子の一番にはなれないよ」


二人の未来がどんな形になったとしても、二人の中にはずっとわたしがいて、消えなくて、きっと、しあわせにはなれないんだと、おもう。







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誰も幸せになれないお話。

title=さよならデスティニーまた明日
Special Thanks*昴さん
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「モラルハザード」の昴さん主催企画サイト「雨奇晴好」に提出させていただいたお話です。