かりかりかりかり、シャーペンが滑る音が室内に響き渡る。いつの間にかテスト当日で、今はわたしの苦手な数学の時間だ。 暗号みたいな数字を前にわたしは降参するしかない。ごめんなさい先生、先生の教え方が悪いわけじゃないよ。 救世主である耳慣れたチャイムの音で、やっとわたしは複雑な暗号から解放された。 今日のテストはこれで終わりだ。担任の先生は終わったら自由に帰っていいと言っていたので、わたしもみんなと同じように鞄の中に荷物を詰め込む。 明日の国語は唯一の得意教科なので、90点は取れるように勉強しよう。確か、漢字の範囲が広かったんだよね。


、一緒に帰ろう?」
「うん」


仲良しの友達に声を掛けられて頷いて立ち上がる。しっかり者のちゃんとは去年も同じクラスで、わたしにとって一番のお友達だ。 今日やったテストについて話しながら、わたしが「やっぱり数学だめだったよ」と言うと、 ちゃんは少しだけ眉を顰めて「あの公式だけは覚えなさいって言ったのに。次は頑張りなさいよ」と、仕方がないみたいに笑った。 わたしはちゃんのこういうところが大好きなのだ。今はだめでも次があると、いつだって背中を押してくれる。 嬉しくなってわたしが笑えば、ちゃんもにっこりと笑った。


「そういえば若菜、また彼女できたんだってね」
「…そう、なんだ」
「いいの?」
「なにが?」
「あたしの勘違いかもしれないけど、ってアイツのこと好きなのかと思ってたから」
「……違うよ、確かに若菜くんは格好良いけど、そういうんじゃないよ」
「―そ、なら別にいいの。それより、」


それから分かれ道になるまで沢山の話をした。最後に「明日も頑張ろうね」と言って手を振ってわかれる。 一歩一歩、家に向かって歩き続ける足は鉛みたいに重くて少しでも気を緩めるとずしんと沈んでしまいそうだ。 原因はわかってる。…嘘をついてしまった。大好きなちゃんに、嘘をついた。 いつの間にか吐き出していた息がじわじわと空気に溶けて、わたしの心に影を落とす。

若菜くんを好きだと気づいたのは、小学校を卒業する頃だった。

それまでのわたしも若菜くんのことは大好きだったけれど、その「好き」はお父さんやお母さんに対する「好き」と同じだと思っていたのだ。 若菜くんのことが好きだと気づいたわたしは、それまでしていたように普通に若菜くんの隣にいることが出来なくなった。 どうしたらいいのかわからなかったのだ。若菜くんは変わらなかったのに、わたしだけが変わってしまったようでこわかった。 芽吹いたばかりの想いがばれて、若菜くんに嫌われてしまうのが嫌だった。 最初に距離を置いたのは わたし、


「結人、待ってよ!」
「遅えよ。お前足短いんじゃね?」
「あたしのが小さいんだからしょうがないでしょ」
「それもそっか。ワリーワリー」


わたしから離れたのに、わたしの目は若菜くんを追うことを止めなかった。何度も何度も止めようと思ったのに、気づけば若菜くんを探していた。 もしかしたら、若菜くん探しチャンピオンになれるかもしれない。見つけたくなくても見つけてしまうのだ。 わたしの足元に伸びてきたふたつの影は、どんどん距離がなくなってくっついた。 若菜くんの彼女になる人は、とびきりの美人さんだったり、とびきり可愛い子ばかり。みんなスタイルも良くて、わたしにはちっとも重なる部分が見当たらない。 わたしだって、小さい頃は若菜くんと手を繋いだんだよ。なのに今、若菜くんの手を握っているのはわたしじゃない。 当たり前だ、わたしは若菜くんの彼女じゃないんだから。わたしは若菜くんにとって、ただ家が隣なだけのクラスメート。 その事実が悲しくて、止まってしまった足をじっと睨む。きゅうっと噛み締めた唇は、少しだけ震えていた。
夕日の向こうで若菜くんが振り返った気がしたけれど、都合の良い幻だ。





昔みたいに隣にいたいと思うのは、自分勝手なわたしの我儘でしょうか。