コツコツコツコツ、静まり返った夜の住宅街は些細な音がやけに響く。 ブーツの底が硬い地面を踏み一定のリズムを繰り返しながら明かりの灯った建物に足を踏み入れ階段を上る。 鞄から取り出した鍵を右に回して引き抜きドアノブを手前に引く。 暗がりの中手探りで鍵を回し壁を這う手がスイッチを押す。ぱちり。 明るくなった玄関でブーツを脱ごうとしたところで視界に入る郵便受け。 隙間から見えるなにかを取り出そうと伸ばした手は予想外な感触を掴み上げることとなった。 ……携帯?見覚えのない長方形の塊は今はやりのタッチパネル式ではなく私が使っているのと同じ折り畳み式。 見覚えはなくともよくあるデザインの携帯を裏表と眺めてみるがどこにもメーカー名が書いてない。 ぱかりと開いてみても同じで、どこのメーカーのなんの機種かさっぱりわからないのだから眉間にシワが寄るのも仕方のないことだ。 意味がわからん。上半分はなにも映さない真っ黒なディスプレイ。 下半分は数字や文字が刻まれた四角いボタンが並ぶ、ありふれた携帯電話。 試しに電源ボタンを長押ししてみるものの反応はなく、もしかしたら充電が切れているのかもしれない。 それ以前に壊れているやら玩具やらの可能性もあるけれど。 ぶるりと身体が震えたのをキッカケに今度こそブーツを脱いで奥へと進む。ぱちり。 六畳の和室が照らされローテーブルの上で佇むリモコンを見つけ出せばエアコンに向けてスイッチを押した。 部屋を暖めている間に手早くシャワーを済ませ濡れた髪をタオルで拭いながら先程テーブルの上に転がした例の携帯電話に手を伸ばす。 サブディスプレイがないタイプのそれは黒く、傷はどこにも見当たらない。 郵便受けに落とし入れる際に小さな傷ができていても可笑しくはないのに。 髪を拭っていた左手で今度は白い携帯を掴み、ぱかりと開く。 こちらはすぐに上半分が光りディスプレイに日付や時間といった定番のものが映し出された。 私が日頃愛用しているのだから当然だ。充電はまだ二つ残っている。 右と左の真逆な色を見比べている間ぽたぽたと毛先から拭いきれていない水分が落ちて肩にかけたタオル地に吸い込まれていった。 ああそうだ。不意に思い立って左手の白をテーブルに置く。 右手の黒を裏返しカメラのレンズの下、電池パックが収納されていると思われる部分を開けてみた。空っぽ。 空洞があるのみでなにもない。どこを押しても反応がないのは当然か。波が引くように途端に興味が失せる。 最早ゴミでしかない黒い携帯電話をテーブルに置いてドライヤーを使う為に席を立った。 アナログテレビが映す笑い声ばかりの番組を観ながら時折反射で光る黒い塊が再び気になり始めた。 玩具にしては精巧な作りだ。別に機械に詳しくはないけれど身近な機械である携帯電話は見慣れている。 メーカーもわからないが、もし電池パックがあれば使えるようになるんだろうか。 電話やメール機能は止められていても電源が入れば持ち主を特定できるかもしれない。 かといってメーカーもわからないこれに合う電池パックなど手に入れることは可能だろうか? 暫し思案した後にテレビの左側の棚に目が移る。本が並ぶ一番下。籠の中からワインレッドの長方形を引っ張り出した。 こちらはサブディスプレイがあるタイプだが充電が切れているのでなにも映っていない。 そもそも今使っている携帯の前に使っていたものだから電源をつけたところで圏外なのだけれど今それはどうでも良いのだ。 ワインレッドの携帯から電池パックを取り出して黒い携帯の空洞に入れてみる。ぴったりだ。 自分でやっておいて偶然にもサイズが一致したことに驚いた。 ならば次は充電だと伸ばしたのはつい先日買ったばかりの充電器ではなく壊れてしまった充電器。 壊れたといっても携帯から取り外す際に押す部分が取れてしまっただけで充電はできるのだ。 ただ一度携帯に挿すと取り外すのが困難になるだけで。 わざわざ以前の携帯の電池パックを取り出したのと同じく以前の充電器を使う理由はただ一つ。 メーカーもわからない携帯に使用して壊れてしまったら困るからだ。 左サイドの充電器と接続する部分を開けて充電器を挿してみる。抵抗することなく受け入れられたことにまた少し驚いた。 コンセントに繋げれば右サイドに赤いランプが光った。充電中ということか。 暫く待ってから電源ボタンを長押ししてみると今度は上半分が光った。 日付と時間が真ん中に大きく映し出されるだけの至ってシンプルな待ち受けだ。 ボタンを操作してプロフィールを開いてみる。白紙。アドレス帳を開いてみる。白紙。 ロックが掛ってないのを良いことに片っ端から色んな機能を引っ張り出してみたがどれもこれも空っぽだった。 …やっぱりゴミか?いらなくなったからと言って人ん家の郵便受けに放り込むのは止めてほしい。ゴミ箱ではないのだ。 ふと視線を画面の左上に移す。ちかちかと点滅する充電マークの隣、電波状況を示すそれは圏外の二文字。 私の白い携帯はやる気満々に三本立っているから、やはりこれはもう使われていない携帯なんだろう。 携帯ってなにゴミだっけ?首を捻ったそのとき、耳をつんざくような電子音が鳴り響いた。 …おいおい嘘だろ。さっきまで二文字が並んでいたそこには見覚えのありすぎるマークが元気いっぱいに立ち並んでいた。 日付と時間が映し出された画面は今や上から下までびっしりと数字が並んでいる。電話番号にしては恐ろしく長い。 そんなことを思う間にも喧しく響く電子音は消えない。 隣や上下の部屋から苦情がきたらどうしてくれるとばかりに耳に悪そうな音を止める為電源ボタンに指を添えた。 ばちっ。押した瞬間、ブレーカーが落ちたときのような大きな音が耳朶を打ったが、実際にブレーカーが落ちたのかは私にはわからない。 何故ならその音を聞いた瞬間に私という存在が住み慣れた2DKマンションの一室から消えたからだ。 |