死への恐怖って、なんだろう。


小学校低学年の頃、首を絞められたことがある。
目の前にいる女の両手によってきりきりと締め上げられるあたしの首。
はっきりと憶えているわけじゃないけれど、あの時感じた恐怖は自分が死ぬかもしれないことに対する恐怖ではなかった気がする。

どうして、なんで、

どうしてこの人はそんなにあたしが憎いんだろう。
なんであたしはこんなことされなければいけないんだろう。
呼吸は辛くなったけど意識が遠退くほどではなかった。きっと本気じゃなかったからだ。
遊びで人の首を絞めるの?
そんな生き物がいることが恐ろしかった。暇つぶしで苦しめられたのか、あたしは。

「あぁごめん、苦しかったね」

手を放した女はわらった。涙がこぼれた。



「一馬っ見てくれ!とうとう究極の一発芸を編み出した!」
「へー」

「……何今の」
「男気溢れる一発芸だな。俺でも無理」
「言っとくけどアイツ女だぞ」
「「!」」



「いつも考えるんだ。自分の終わりを、想像する」



自分が死ぬことに対する恐怖より、目の前で人が亡くなることの方がこわい。


大好きな人の心臓が止まった。
機械に表示された数字は、ゼロ。真横に真っ直ぐ延びる直線。
あぁ、終わったんだ。解放されたんだね。
一番最初に抱いた想いはなんだったんだろう。哀しみでは、なかったな。

だけど、哀しみは少し遅れてやってくることをあたしはその時改めて知った。

水を含ませたティッシュで口を拭う。
彼はこんなこともできなくなってしまったのか。…もう、自分の意思でなにかをすることはないのか。

一瞬だった

触れたと同時にぶわっと溢れた感情。涙。
彼の心臓は止まってしまった。血液を循環させる役割を放棄してしまった。
驚くほど、冷たい。冷たい身体。痩せ細った身体。
人前でみっともなく泣きたくなんてない。泣きたくなんてないのに、嗚咽が止まらない。
止まれとまれトマレ!――最初に麻痺したのは、なんだったんだろう。
あたしは生きているのに、自分の意思で身体を動かせるはずなのに、制御できなかった。
止まらない涙、止まらない嗚咽。
サミシイカナシイコワイ。初めて感じた死の恐怖。遺された者のこころ。
置いていかれるのはやだな。失うのはもういやだ。



「感情論で動いちゃいけないよ」
「…それは、心を捨てろってこと?」
「どうだろう。でもその答えはきっと、一つじゃないから」



さよならだけが人生なら、どうして人は出逢うのだろう。


永遠を願うわけじゃないけれど、別れが前提の出会いなんてイラナイ。
置いていかれるのも失うのも嫌なんだ。だからあたしが、置いていく。
一方的に手を離される前にあたしが離す。遺される痛みを知っているのに、弱虫なあたしは手を離す。
痛みに鈍感なふりをする。でもその前に、

「痛いって、思ってくれる?」

離れていくあたしに、人はなにかを感じてくれるだろうか。
その一瞬にあたしは救われる。その一瞬で愛を知る。
矛盾だらけで穴が空いたソレは、なんとも一方的で歪んだ感情。

ひとつ、ふたつ、切り離して手放す。あたしは痛みに鈍感だ。
みっつ、よっつ、両手の指が全部曲がる前に、てのひらの上はからっぽ。
さよならをする人さえもういない。
……違う。一番最後にさよならをするのは、あたし自身なんだね。



「あーららあ、強がっちゃって。ほんとは気になるんだろう?――誰がを変えたのか」



[死にたがりのS]


死にたい 切実にだったり漠然とだったり、理由やきっかけは違えど死を願ったことのある人は大半だと思う。
私もそうだ。いや、そうだと思っていた。
今の自分と昔の自分を思い返してみてそれは違うと気づいた。

私は死にたいのではなく、消えたいのだ。

死にたいと消えたいはイコールではない。
ここからいなくなりたいだけで自分を終わらせたいわけではないのだ。

いつも心の奥底で消えたいと思っていて、ふとしたときに爆発する。衝動的且つ、――。

私はひとりだと思う度に誰かを傷つけてきたのかもしれない。
手を伸ばしてくれる人はいたのだ。私の手を掴もうと差し伸べてくれる人はいた。
気づかなかったのも掴まなかったのも振り払ったのも私。

区切りがつく度にさよならをしてきた。一方的なさよならもあった。
臆病で自尊心ばかりが強い私は、忘れられるのが怖いから自分から終わりにするのだ。
フェードアウトでもカットアウトでも良い。
私は人の記憶から消えてしまいたい。最初から私の存在などなかったことにしたい。

――
―――

「そろそろ一息入れたら?」

鼓膜を震わす声に顔を上げる。
差し出されたマグカップを受け取る際にわたしの指先が彼の指に触れてしまって、端整な顔を顰めさせてしまった。
延々とキーボードを叩き続けていたわたしの手は、随分と冷え切っていたのだ。

「集中力があるのは良いけど、ちょっとは自分の身体を労わりなよ」

子供を叱るような口調。けれどもそれが優しさ故だと知っているわたしは返事の代わりに微笑んだ。
彼は知っているだろうか。
わたしが無心にキーボードを叩き続けられるのは、いざとなれば止めてくれる人がすぐ傍にいてくれるからだということを。
どこまでも深い安心感。結局は甘えているんだよ。
画面に並ぶ、あまり気分の良いものではない文章を見ても肯定も否定もしないあなたがいてくれるから。


「ありがとう」


何度でも何度でも紡ぎたい。
ここにいられる しあわせ を、他でもないあなたへ。



「、それなら…教えてくれれば良かったのに」
「ちがっ…!そうじゃないんだ!」
「ばかみたい、あたし。馬鹿みたい」
「違う、ごめんっ違う…違うんだ」



歪んだあたしの死への恐怖 さよならの恐怖


人生は物語だから、いつかは結びを付けなければいけない。
開けたら閉める、出したら仕舞う、広げたあたしを畳まなきゃ。
後片付けは簡単だ。だって、散らかしたものはもう殆ど失くしてしまったから、
お前が捨てたんだろう?―と、思われるかな。
自業自得は否定しないけど、捨てたわけじゃないことだけは、いつか誰かに告げてもいいだろうか。

弱虫なあたしには、捨てられるものなんてなにもなかったよ。
失くして壊して傷つけて置いていかれるのがいやだったから、自由にしたの。
全部ぜんぶ自分の為。誰かの為になにかをしたことなんて、きっとない。
いつか終わりが来ることを知ったなら、言い訳だらけのあたしの人生を、一度だけそっと紡いでもいいかな?
聞いてくれる人はいるかな。手を握ってくれる人は、いるのかなあ、

ごめんね ありがとう だいすき



「いいの。騙されるのは嫌いじゃないから」

だけどもっと上手な嘘をついてね。
上手に騙されるのって、結構難しいんだよ。



死への恐怖。それはきっと――、