駅のホームで音を拾った。とても かなしい ことば 今にも風に消されてしまいそうな細い声は、それでも確かに空気を揺らして叫んでいた。 愚かなほど、 思わず読んでいた本から顔を上げ、そうっと音を辿る。 無防備な首をマフラーで隠した彼女は、黄色い線の内側でひとり、携帯を耳に押し当て佇んでいる。 俯いた顔は悲痛に歪んでいるのだろうか。寒さからくるものかもしれないが、彼女の身体は微かに震えているようだ。 届かない言葉ほど むなしい ものはない 私は常々そう思っている。 果たして彼女の叫びは電話越しの彼―もしくは彼女―に届くのだろうか。 他人である私の心にも切々と響く、訴えかけるような、声 けれども、機械を通してしまえばその響きも歪んでしまうかもしれない。 あぁ、なんて、………、――。 「あんたいつもいるよな」 首根っこを掴まれたような、突然引き戻されたような感覚にぱちりと瞬きを一つ。 少しだけ視線を横に流せば視界の端に黒い塊が見えた。 「指、赤くなってんぞ」 手袋は?語尾の上がった口調に首を左右に振る。だってページが捲り難いもの。 随分と冷たくなった指先を一瞥して今度はゆっくりと視線を上げていく。 私に声を落としたのはどうやら学生らしい。黒い学ランに黒いマフラー。上から下まで黒一色の男の子。 「手ぇ止まってんじゃねえか」 「ここに綴られているものより興味深い言葉を拾ったからね」 「それってもしかしてあんたの視線の先にいる女が関係してんの?」 「知り合い?」 点と点、ぶつかって線になり刹那、ぶつりと切れて点に戻る。 奥を覗くことを許さない二つの闇が私を招いたのは一瞬で、瞬きを終える頃にはもうこちらを見ていなかった。 黒い彼に倣うように、横に流していた視線を修正する。 「折れそう」 「なにが」 「彼女だよ。あの丸まった背中がさ、今にもぽきりと折れてしまいそうだなあって」 「……、…あんたは」 「ん?」 「あんたはどうなんだよ」 ひゅう と、冷たい空気が肺に吸い込まれて爪で引っ掻いたような痛みを刻む。 直線上の彼女は相変わらず縋るように携帯電話を耳に押し当て、そしてわずかな音さえ逃がさぬようにと、反対の耳を塞いで俯いたまま。 「いつもいるよな、電車に乗るわけでもねえのにずっと」 「悪さをするわけじゃないもの。それに、ここの駅長さんは話がわかる人でね」 「これからもずっとそうしてんのか」 「約束だから…、」 一つ、二つと季節が通り過ぎるに従って耳の奥で私を呼ぶ声がぶれてきた。 四つの季節を幾度となく繰り返した今となっては、最早あのときの彼の顔すらぼやけて見える。 「…もう、習慣みたいなものだけど」 喉を焼く甘い毒に侵されているわけでも、小指に纏わりつく糸に縛られているわけでもない。 目が覚めたら顔を洗うのと同じ。ただ、毎日この場所で本を読むことが私の日常に組み込まれてしまっただけ、で―― 「彼女、同じ学校の子でしょう?黒川柾輝くん」 「…知ってたのか」 「制服でね。それに黒川くんの隣を歩いているのを何度か見かけたことがあるんだ」 「言っとくけどあんたが想像したような関係じゃねえから」 「なんでもお見通しなんだね」 「そうでもねーよ」 「そうなの?」 「あぁ。例えば、あんたの名前とか」 「あれ、教えてなかったっけ?」 「聞かされちゃいねえな」 思わず斜め上を見れば、口角をくいっと持ち上げた顔がしっかりと私を見下ろしていた。 (「クロカワマサキくん?」「……」「駅員さんに届けようと思っていたんだけど、手間が省けて良かった」「……ドーモ」) 彼と初めて言葉を交わした時のことを思い出せば視界が狭まる。 随分と愛想のない子だなあと思ったあの時、でもそれは私が見落としていただけなのだ。 のどか 「ところで彼女は放っておいて良いの?」 「他人が口挟んだって仕方ねえだろ」 「だけど支えてあげることはできるんじゃない?」 「話は聞く。求められればできる限り応える。でも最後に決めるのは自分だ」 「生憎俺の足は俺を支えるだけで精一杯なもんで」 直線で結ばれた点の向こうで、狭い視界に収めた顔はただ静かに目許を和らげていた。 ほんの少し、空気を揺らすか揺らさないかの些細な変化 微かな変化に気づけるようになった私は、きっと少しずつ自分の足で立ち上がる準備をしているのだろう。 だけどまだ動きだすには足りなくて。零れ落ちそうになった言葉を一つ残らず飲み込んだ。 騒音に紛れ、ぽきり。細い声は下へ下へと落ちていき小さな背中は見る見るうちに人混みに沈む。 ――興醒めだ。感覚を失いつつある指を動かしてページを捲る。捲ろうとした指先に硬くて柔らかな温度………、――。 はっとして持ち上げた視線。人混みに沈み丸まっていた背中が嘘のように真っ直ぐ伸びて動き出す。 目の前で停止した鉄の塊に飲み込まれて行った彼女はもう、震えてはいなかった。 「冷てえ」 自分だって手袋付けてないじゃない。 いつの間にか私の隣に腰を下ろした黒一色の男の子は、そのままゆっくりと私の肩に頭をもたげて目を閉じる。 電車着たら起きる。今のに乗れば良かったのにと吐息を落としつつ、私はそうっと指先に触れた温度を握り締めるのだ。 折れないようにと祈りながら、 -------------------------------------------- 待ち続ける人と見守り続ける人。新たな道が見えるかもしれない冬のお話。 title=まばたき Special Thanks*うらんさん +++ 「nichica*」のうらんさん主催企画サイト「O-19Fest*V ヒーロー見参!」に提出させていただいたお話です。 |