降りしきる



「ずるい」
「え?」
「ずるいよ、そんなの」


真一文字に結んだ唇の隙間から白い熱が逃げた。 じりじりと黄色い線に触れるか触れないか迷っている爪先がなんだかあたし自身を表しているようで、きゅうっと眉がくっ付きそう。


「あたし馬鹿だから。馬鹿だから難しいことなんてわかんないけど、つまり先輩はあたしと別れたいってことでしょ」
「それは、…」
「なのに自分から言い出さずにあたしに言わせようとしてる。そんなのずるい」
「……」
「あたしのこと嫌になったならはっきり言ってくれれば良いのに」
「―違う」
「え?」
のこと嫌いになったんなら俺だってこんな遠回しなことしないよ」
「…じゃあなんで?」
「……卒業したらスペインに行くんだ。もうずっと前から決まってた」


真っ白。スペインってどこだっけ?寒いとこ暑いとこ?飛行機でどれくらい?日本との時差は?
頭の中を巡る言葉はふわふわと浮かんでいて、携帯の向こう側が一気に遠ざかる。


ずっとって、いつから?


中学で先輩と出会って、先輩が卒業して、馬鹿なあたしは先輩と同じ高校には逆立ちしたって行けなくて、 そもそも第一志望校に合格できるかも危うくて、だけど頑張って頑張って、それで、もう一歩頑張って告白して、


ねえ、ずっとって、いつから?



「最初から決まってたの…?先輩が卒業するまでの、期限付きだったの?」
「……」
「じゃああたしたち…、終わる為に始まったの?なにそれ、そんなのってないよ」


だって嬉しかったのに。やっと追いかけなくてもいいと思ったのに。
学校が違くても、先輩があたしより先に前へ進んでしまうのが当たり前でも、これからは隣にいられるって思ったのに。 信じて、たのに――。

馬鹿なあたしは終わりなんて考えてなかった。始まりの向こうに終わりが佇んでいることなんて知りたくもなかった。

ぐるりと巻いたマフラーの隙間から冷たい風が首を刺す。 「別に短くても良いんじゃない?」。少しは女の子らしく見えるようにと伸ばしていた髪を切ったのは先輩がそう言ってくれたから。


「先輩は最初からそのつもりであたしと付き合ってくれたの?どうせ別れるからいいかって、好きでもないのに、いいよって言ってくれたの?」


違う、違う。先輩はそんな人じゃない。そんな酷いこと、しない。

ほんとはちゃんとわかってるんだよ?きっとあたしは遠距離に耐えられなくていっぱい泣く。 先輩の夢を応援したい気持ちに嘘はないから、会いたくても会いたいなんてきっと言わない。言えない。 だっていくら先輩でも慣れない土地で一から始めるのはすっごく大変なことだもん。
あたしなんかと比べ物にならないほど頭のいい先輩はそれをちゃんとわかってる。わかってるからさよならを選んだ。 意地悪だけど優しいもん。知ってる。…優しいから、あたしを傷つけないようにあたしに言わせようとしたんでしょう?


頭ではそれが優しさだとわかってるのにあたしの口は先輩を傷つける弾丸を放つ。


――だってあたし、自分からさよならなんて言えないもん。先輩のこと大好きなのに、先輩が望む台詞は言ってあげられない。 だからあたしと別れたいなら先輩が言ってよ。あたしのこと嫌いになったって、もう顔も見たくないって、言って。

大好きな人を嫌いだと言わなきゃいけないのなら、大好きな人を傷つけて嫌われる方が何百倍もマシ



 そして



「聞いて、。確かに俺は最初からこうなるってわかってて返事をした」


機械を通した先輩の声はいつもより硬い。
近づいてきた電車の音で先輩の声が遠ざかるのが嫌で、左手で反対の耳に堅く蓋をした。


「泣かせるってわかってたのに、嘘なんかつけなかった。…を俺のものにしたかったんだ」


最低だろ?落とすように呟いた声をあたしの耳は器用にキャッチして、ぷつり。なにかが切れる音
顔なんて見えないのに、見えるわけないのに、先輩が困ったように眉を寄せて笑ったのが見えた。



「…もういい、わかった、諦める」


自分でも驚くほどすんなりと口にできた言葉は呆れるほど細く、そのままふよふよと流されてしまいそう。 あぁ、なんて呆気ないんだろう。


「諦めることを、諦める」


いつだってあたしをあたしにしてくれるのは、先輩の言葉なの。
嫌われる方がマシだなんて嘘。そうやってなんとか先輩のこと諦めようって思ってたけど、全部やめる。だって先輩が悪い。知らない。 色んな重さに耐えられなくて丸まっていた背中がしゃんと伸びた。

じりじりと迷っていた爪先はもう、一直線に引かれた線をいとも簡単に踏み越えていて――、


…?」
「遠距離とかやってみないとわかんないよ」
「何年になるかもわかんないんだぜ?お前そんなの絶対耐えられないだろ」
「あたし馬鹿だから、先のことなんて想像したってわかりっこない」
「…あのねえ、」
「でもこれだけはわかるの。あたし、翼先輩が大好き」

「電車着たから切るね。あ、今から先輩のとこ行くから待ってて!」


携帯の向こうで先輩が何か言おうとしたのがわかったけどあたしの親指は素知らぬ顔で電源ボタンにちゅーをする。 先輩が卒業するまで数ヶ月。それまでにいっぱいやりたいことがあるんだ。時間がいくらあっても足りないよ。

携帯をポケットに仕舞い込みながら吊革をぎゅっと握る。…あ。 電車が動き出す一瞬、いつもベンチに座っている女の人にもたれて目を閉じているクラスメートが見えた気がした。





そしてやさしく降りしきる




泣いたっていい。そのすべてを受け止めたい。






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恋愛初心者たちが遠距離恋愛に踏み込む勇気を得た冬のお話。

title=まばたき
Special Thanks*うらんさん
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「nichica*」のうらんさん主催企画サイト「O-19Fest*V ヒーロー見参!」に提出させていただいたお話です。