「あ!あそこにいるの椎名くんじゃない?」
「ほんとだー。走ってった子は1年生ぽかったね」


友人の視線を何気なく追った先にいた彼は、去っていく背中をただ見つめていた。
見つめていたのだ。見たこともないような顔で。

その背中に誰を見ていたの?




知らない横顔





ぽたり、汗が頬を滑る。
夜だというのにどうしてこうも暑いのだろう。
汗を拭う手を伝って鉄の錆びた匂いがわずかに鼻腔をくすぐる。

あの日のことは今でもよく覚えている。
映画のワンシーンのように瞼の裏に焼きついて離れないのだから。
こちらに気づいて目が合ったと思った瞬間、彼は何か口にしたんだ
唇が五十音の中にある言葉を確かに形作ったのに、わたしの耳はそれを音として読み取ることができなかった。

あぁ、そうか。もしかしてあれは





名前を呼ぶ、その声が愛しいと思った。


「こんな時間に呼び出すなんて非常識だと思わないの」
「だって、どうせ暇でしょ?」


ギラギラと輝く太陽によく映える赤茶色の髪も、淡い月の輝きでは色を失くしてしまうようだ。
それでも、その瞳の奥で燃える赤は暗がりの中でも彼の存在を示すように力強く、静かにゆれる

探るような赤から逃れるために視線を外せば、さも面倒くさそうな溜息が落とされた。
――きっと今頃彼の頭の中ではわたしを揶揄るための言葉が物凄いスピードで形成されているはずだ。
天才のスピードに凡人が敵うはずなどない。素直に認めよう。
でも、だからといって攻撃を仕掛けられたら最後。こちらが参りましたと頭を下げるまで許してはくれない。

椎名翼という男は、出会ったときからそんな人だった。


「…うん、ごめん間違えた。『でも来てくれたでしょ?』が正しい返答」

予測していた容赦ない言葉の数々を聞き流して彼が一度口を噤んだ瞬間にゆっくりと言葉をねじ込む。
わたしも随分学習したものだと思う。彼はこの手のストレートな言葉をぶつけられることに弱いのだ。
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ再び息を吐き出した彼は小さく肩を竦めてわたしの隣に落ち着いた。

こぶし2つ分程しか離れていないはずなのに、どうしてこんなにも遠く感じるのだろう

錆び付いた鎖がわたしの心を代弁するかのように音を立てる。
両足を地面に縫わせたまま少しだけブランコを漕ぐと、キィと何度も鈍い音が響いた。


こんなはずではなかったのだ。夜の公園に呼び出せるような関係を築き上げるつもりなど微塵もなかった。
彼に恋焦がれるつもりなんてなかったし、近づくつもりもなかった。
そもそも恋をしたところで無駄なのだ。だって彼には最初から想い人がいたのだから。
冷静になって視線を追えばわかる。彼が誰を見ているのか。誰を想っているのか。
わたしに出会うよりももっと前から。それこそ飛葉に転校してくる以前から。

燃えるような赤い瞳に映りこめるのはあの人しかいないのだ。


それなのにあの日、彼はその瞳にわたしを映した


「それで?何か話があったんだろ」
「あのさぁ、その前に一個だけ約束してくれる?」

「絶対こっち見ないで。椎名は前だけ見てて」
「は、なんで」
「いいから」

強引に言葉をねじ込むと、遅れてわざとらしい溜息―「わかった」。
ゆっくりと視線を隣に移せば目に映るのは端正な横顔で
暗がりの中でも力強くゆれる赤は遠くを見つめていた。

「まず確認しておきたいんだけど、わたしはわたしで、椎名は椎名でしょう?」
「当たり前だろ。僕はじゃないし、が僕なわけがない」
「わたしだけじゃない。椎名に向けられた言葉も表情も全部。それはその人であって椎名じゃないの」
…?」


本当は知らないふりをしていただけだ。
だけど彼がその愛らしい顔つきと等しい性格ではないことは有名だったし
何より夢を語るその横顔はいつだって力強かったから――

「すき」


瞼の裏に焼きついたワンシーンと目の前の横顔がぴたりと重なる。
こんな弱い顔もするのだと、心が惹きつけられたあの日の彼と


「だから椎名、もう友達は無理。勝手でごめん」

あの日を境にゆっくりと近づいて、いつの間にか落ち着いた友達というポジション
それが苦しくてたまらない。友達なのに苦しい。彼の視線を追うたびに心が悲鳴をあげる。
だから、これが最後の悲鳴にしよう。
ゆっくり立ち上がると、わたしの両手から解放された鎖がキィと鈍い音を立てた


「さっきも言ったけど、わたしはわたしだから、重ねちゃだめだよ」

あの日、去っていく背中に彼は彼自身を見ていたのだと思う。
いつの日か自分もこうなるのだと。あの人に想いを告げてしまえば、きっと耐えられずに背中を見せることになるのだと。

わたしの背中に彼を重ねて欲しくはないのだ。
前を見てくれていれば良いと思う。もうわたしは隣を見ることはできないから


「    」


唇が地面に向かって五十音の中にある言葉を形作る。
きっとあの日、わたしの耳が読み取ることのできなかった音だと思う。

彼に届いていないので、確かめることはできないけれど

縫わせたままの両足をゆっくりと解き始めよう。
背中を向けるのはわたし。友達でいられないのもわたし。
だけどね、



!…それでも俺は、お前は大事なダチだと思ってるよ」




もう一度隣を見たら、燃えるような赤い瞳はわたしを映しているのだろうか。
それとも、今度は知らない横顔がわたしの瞼の裏に新しく焼きつくのだろうか。










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文庫のおまけ漫画で発覚した事実を元にしたお話。
でもきっと翼さんの恋が報われることはないんだろうなーって思います。ごめん。
色々と表現力不足で消化不良のお話ではありますが割と気に入っていたり。
翼さんにもさんにも幸せになってほしいです。…なんて、こんな話書いといて言ってみたり…!

title=TV
Special Thanks*うらんさん
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「nichica*」のうらんさん主催企画サイト「O-19Fest*3rd」に提出させていただいたお話です。