「ッ、」 鋭い痛みに頬が引き攣る。上下の唇を擦り合わせればじわりと口内に鉄の味が広がった。 (ひりひりする。)カサカサに渇いた皮を何度も剥いた結果なのだから自業自得だ。 親指の爪の間に挟まったほんの僅かな赤にぐっと唇を噛む間も降り注ぐ声は止まない。 仕方がない。間宮は今周りに気を配れる程の冷静さが残っていないのだから。 「気付いたらあいつの背中に何本も矢が刺さってて、刺したの、俺だけど… あんなの医者に診せなきゃ治せない。ここじゃ碌に治療も出来ないし出来るやつもいないし、だから、 だから、……きっと死んだ。黒川は俺に殺された」 自問自答を繰り返すのには慣れていた。俺の判断は正しいのか、果たしてこれは本当に最善なのか。 練習でも試合でも、日常の中で幾度となく自問自答を繰り返してきた。 「…そうか」 すまない、間宮。お前を慰める言葉が何一つ出てこない。キャプテン失格だな。 顔を覆っていた両手をゆっくりと下ろした間宮が微かに俺に視線を向ける。 この教室に来てから俺の顔をあまり見ようとしない彼に寂しさにも似た感情が胸裏を這うが、これも仕方がないだろう。 動くか、止まるか。―生きるか、死ぬか。 幾度となく繰り返した自問自答も、もう終わりにしよう。 ぎゅっと、左手を固く握る。震えている。力を入れ過ぎたからか。 ああ、空はこんなにも綺麗だ。あいつらも見ているだろうか。今日のメニューは何だったろう。 間宮の肩を叩いた右手が震えそうになるのを必死で堪えながら口角を引き上げる。…やっと目を合わせてくれたな。 「大丈夫。お前の所為じゃないさ」 安心したように笑みを浮かべた間宮の首に纏わり付く首輪の上、柔らかな皮膚に、振り被った左手が食い込んだ。 + 「足の具合どうなんだ?」 「大分良いよ。来月にはナショナルトレセンもあるからな。今まで休んだ分明日からの合宿でしっかり調整してくるさ」 「治ったからって無茶ばっかすんじゃねぇぞ」 「なんだ三上、心配してくれるのか?」 「ばーか。お前がまた怪我でもしたら四月から俺が困んだよ」 「ははっ、高校には頼もしい先輩方が大勢居るからな。まずは一軍に入れるよう努力しないと」 「入るに決まってんだろ」 「お、頼もしいな」 「他人事みてぇに言ってんじゃねーよ。ったく。良いか渋沢、武蔵森は実力主義だ。 高等部だって変わんねえ。二年だろうが三年だろうがさっさと蹴落とせ」 「お前はまたそんな物騒な言い方をして」 「うっせ。俺もお前も最短でレギュラー取んだよ。上に遠慮なんかすんじゃねえぞ」 「…確かに、そんなことをしては先輩方に失礼だな」 「とにかく!怪我なんかしやがったらぶっ飛ばす」 「それは怖いな。十分気を付けるさ」 + 生温かい血飛沫が顔に掛かり、頸動脈を突き破る感触にガタガタと体が震える。指先が痺れている。 べっとりと血がこびり付いた左手を突き立てたボールペンからゆっくり剥がし、支えを失って倒れた間宮に息を呑む。 「すまない、間宮、すまない…」 お前が人を殺してしまう前に止めてやれなくてすまなかった。 俺はキャプテンなのに、お前たちを引っ張って行く立場なのに、動くと言う選択肢を真っ先に選ぶべきだったのに、 「…、まもってやれなくて、ごめんなっ……!」 すまない、三上。お前との約束は守れない。 すまない、藤代。お前を探しには行けない。 すまない、間宮。すまない、 「俺もすぐ逝くから」 溺れてしまった瞳に輪郭の崩れた間宮の姿を焼き付け、見開かれていた彼の瞼を丁寧に下ろす。 動くか、止まるか。生きるか、死ぬか。スタートしてから幾度となく繰り返した自問自答。 支給された鞄に入っていた小瓶を見てから、何度も何度も考えた最善策。 ガタガタと震える指で蓋を回し、鼻を刺す異臭にぐっと唇を噛む。 小瓶を傾けて一気に粉末を流し込むと、あまりの激痛に火花が散った。 「っぐ、ぁ、」 反射的に異物を吐き出そうとする口を両手で押さえ付けて数回にわけて嚥下する。 込み上げてくる嘔吐感、頭の中を殴打されるが如く視界はチカチカと点滅し、喉を掻き毟りたい衝動に駆られるが 体はぴくぴくと痙攣を繰り返すばかりで言うことを聞いてくれない。 …ああ、良かった。これで良い。首輪が爆発なんてしたらすぐに死んでしまう。俺は苦しんで死ななければ。 ああ、そういえば三上に一つ訂正するのを忘れていたな。 俺は元々周りに遠慮なんてするタイプじゃないよ。とても自分勝手で強欲だ。 (高校選手権、優勝したかったな。) あの背番号を他人に譲る気なんて端からなかったさ。 |