「失礼ね」
「こんな物差し出してどういうつもり?」
「言葉通りよ」
「あたしなら綺麗に殺してくれるって?」
「ええ。だって優勝者なんでしょ?それなら扱いも慣れてるかなって」
「短絡」
「煩いわね」
「自分で死のうとは思わないの」
「…、…試したけど、いざ引こうと思うと動かないの。今はもう引き金に触るのも怖い」


あの教室で一番に名前を呼ばれた飛葉中のキャプテンは教官である西園寺さんからデイパックを受け取ると 私たちを振り返り、「何もするな。全員で協力して帰るんだ」。と酷く冷静に吠えた。
元々この十五名は三つの学校と一つのグループに分けることが出来て、 それぞれに親しい人間がいるんだから簡単に殺し合いが始まるとも思ってなかった(思いたくもなかった)けれど、 彼のあの、冷たくも熱い咆哮があったからこそ、十二時間が過ぎた今も何の動きもないのだろう。 …だけど、このままじゃ駄目なのだ。 死ぬのは嫌。殺されるのも殺すのだって絶対嫌。だけど、でも、


「誰かを殺して帰ったって、お兄ちゃんたちに合わせる顔がないもん。だから、誰かが死なないと全員死ぬなら、私でいい」


真っ直ぐ、彼女の瞳だけを見つめて告げる。
何秒、何分、長いようで短い沈黙の後、私の手に吸い付いていた塊は嘘のようにあっさりと離れた。


「…何してるの?」
「弾が逆向きに入ってないか確認してる」
「そんなことしないわよ!」
「この状況で他人の言葉を簡単に信じられるほどお気楽な思考じゃないから」
「…私があんたを騙そうとしてるってこと?」
「そうは言ってないよ」
「じゃあなによ」


むっと眉を寄せれば、懐中電灯で照らされた手許に視線を落したままの彼女の唇が微かに形を変えたように見えたけれど、 囁きにも満たないその声が私の鼓膜を揺らすことはなく、代わりに、真っ直ぐ左胸に銃口が向けられる。


「ねえ、プログラムが長引いたとして、私が帰る頃に、私…腐ったりしてないかしら?」
「真夏じゃあるまいしこれだけ寒ければ平気じゃない?」
「それもそうね、良かった。なるべく綺麗な状態で帰りたいから」
「蜂の巣にされる心配はしなくて良いの?」
「無抵抗な人間相手に無駄に弾を減らすほど馬鹿じゃないでしょう?」


どくどくと心臓が鼓動を繰り返す。この音ももうすぐ聞こえなくなるのだ。

死にたくない。帰りたい。皆の為だなんて、ほんとは違う。怖いの。
もしも私たちが心から互いを信頼していれば、あの教室を出た少し先で次に出てくる人を待っていれば良かった。 そうした人もいたかもしれない。でも、私には無理だった。走って走って、更衣室に隠れた。 ―こんな状況で全員で協力?馬鹿言わないで。 もしも全員で集まれていたとしても、二十四時間のタイムリミットに怯えた誰かが豹変するかもしれない。
人に会うのが怖かった。殺されるのも、殺すのも怖い。
何よりも、疑心暗鬼になって誰も信じられなくなる自分が、こわい。

この恐怖から逃げたくて、私は優勝者を探すことに決めたのだ。


さん…で良いわね。私、ってもっと酷い人だと思ってた」
「…」
「こんな風に話すこともなく、見つかったらすぐに殺されると思ってたの」
「殺されることに変わりはないけど」
「頼んだのは私だもん。…ごめんね。優勝者だって、同じ人間なのに」
「……」
「ねえ、聞いても良い?」
「なにを」
「前回のプログラムのこと」


こんな異常な空間の中、この子はなにを想って過ごしたんだろう。
表情の変化はあまりなく、不機嫌そうな顔や作った笑顔しか見ていないけれど、昔からそうだったとは限らない。
純粋に彼女に興味があるのだ。もうすぐ私を殺す人は、どんな人なのか。

内緒話をせがむ子供のように少しだけ体を乗り出すと、冷たい塊が左胸に当たった。


「……小島さんって、やっぱり変」
「有希って呼んで。最期に他人行儀なんて嫌」
「他人なのに」
「この期に及んで細かいこと言ってんじゃないわよ」


溜息を吐いた彼女は私の左胸からゆっくりと銃を外す。 不思議に思って視線で問えば、彼女はどこか困ったように眉を寄せて、「話、するんでしょ」。 溜息とともに吐き出した。



それからは彼女のベッドに移って、座ったまま一緒の毛布に包まり、まるで修学旅行の夜のように色んな話をした。
は前回のプログラムのことを話し終えてからは口を噤み、私ばかりが話していたけれど、 家族のこと、学校のこと、サッカーのこと、大して面白くもない私の話に、丁寧に相槌も打ってくれた。

彼女に殺されると決めてもやっぱりその時が来るのは怖くて、そんな私に気付いたのか、 はデイパックの中から小瓶を取り出して、「眠っている間に殺してあげる」。と私に差し出す。 確認もせずにあっさり飲み込めばまた呆れたように溜息を吐かれ、 もしも毒薬だったならそれはそれで良かったのだと告げれば何度目かになる「変な子」の称号を得た。嬉しくはない。

こうして呑気に世間話をしている間にも時間は刻一刻と過ぎて行き、 もしかしたら今も何処かの教室で誰かが非日常に犯されているかもしれない。 だけど私の耳が拾うのは自分の声とか虫の音とか、間違っても銃声や悲鳴を拾い上げることがなかったから、 視界の隅に映り込む拳銃だけがフィクションのようで。


「…それでね、その時麻衣子が、……」
「効いてきたみたいだね」
「うん、すっごく、ねむい。まだ話の途中…なのに、」


ぼんやりと重たい頭は私の意思を置き去りにゆっくりと傾いて行く。 (もっと、話していたいのに、)今にも瞼が溶けてしまいそうだ。 ふわり、酷く優しい手付きで髪を撫でられ、なんとか持ち上げた視線の先、



――ああ、やっぱり死神は美しい。



「おやすみ、有希」


甘やかな笑みを焼き付けて、私の意識はぷつりと途切れた。