「……え、」


ぽたり、ぽたり、滴る音が耳にこびり付きそうだ。


「え?」


床に転々と落ちて行く赤。なんだこれ。血?なんで?
ゆっくりと視線を持ち上げれば、誰かが、風祭が腕を押さえている。なんで?
…ああ、そうだ。一緒に居たんだ。
こいつは翼たちを探そうって言ったけど、俺がビビって動けなかったから、ずっと一緒に。

瞬時、キュルキュルと巻き戻る記憶が早送りで今に追い付いた頃には、指先までが凍っていた。


「ご、ごめん風祭…!おれ、」
「ッ大丈夫、掠っただけだから」
「俺、ほんとそんなつもりじゃっ」
「うん、大丈夫だよ。ぼくの方こそ急に声掛けてごめん。吃驚させちゃったね」
「と、とにかく止血しねえと!えっと、タオル…は、ねえから」
「ほんとに大丈夫だよ!そんなに深くないから」
「駄目だ!…そうだ、俺のジャージで」


合宿用に持ってきた荷物はバスに載せたままどうなったのかわからない。
あの教室で渡された鞄には水とパンと校舎内の地図と時計と懐中電灯と、後は武器だけでタオルはなかったので、 着ているジャージを切ろうと慌てて脱いで右手を動かして、赤く染まったナイフに目の前が真っ赤に染まる。


「う、あ……」
「…畑くん?」


風祭は、いいやつだ。素直で弄り甲斐があって翼のお気に入り。
ほんとはさっさと桜上水のやつらを探しに行きたかっただろうに、 先に出会っちまった俺を放っておけなくて一緒に居てくれた。 …さっき名前を呼ばれた小島だって、風祭と同じ学校のやつだ。 俺以上にショックだった筈なのに、恐怖でぐちゃぐちゃになった俺を心配してくれた。 怪我だってさせたのに今も、自分より俺のことを気にしてる。

カラン、ナイフが滑り落ちる。


「ごめんな、風祭」
「畑くん…?」
「翼、柾輝、…兄貴ぃ、帰りてぇよ」


ぼたぼたと見っとも無く涙が落ちる。ずずっと鼻を啜って唇を噛んだ。


「うん、…うん。帰ろう。翼さんたちを探して、皆で一緒に帰ろう」
「…俺、無理だ。怖ぇんだ。ここから出んの」
「じゃあぼくが皆を探して戻って来るから!畑くんはここで待ってて、ね?」
「ありがとな。でも、…ごめん。風祭。怪我させて、ほんとにごめんなあ」
「畑く、わっ!」


困惑した顔で俺を見上げる風祭に向かってデイパックを投げる。 驚いて俺から目を逸らした隙に素早く振り返り窓を開け、足を掛けた。


「、畑くん!駄目だッ!!」


駄目じゃない。こうするしかないんだ。
俺はビビりだから、ちょっとしたことで足が竦んで、頭ん中ぐちゃぐちゃで周りが見えなくなって、 きっとその度に、さっきみたいに誰かを怪我させる。


「生まれ変わったら、また一緒にサッカーしようぜ」


最期までダッセェ姿は見せたくねえから、震える唇を無理矢理上に向けた。
俺を止めようと伸びて来た手に捕まる前に大きく窓枠を蹴ると同時に引っ掛けていた手を素早く動かして窓を閉める。 (あいつ指挟まなかったかな。) 一階だから足に来る負担は殆どなくて、久しぶりの土の感触にスニーカーを慣らす暇もなく走り出す―つもりだったけど、


「早過ぎ、だろ……」


鼓膜を破るような銃声と体を襲った衝撃、どっちが早かっただろう。
ビクビクと魚みてえに体が跳ねて頭の中まで熱い。いってぇよ馬鹿、ちっとは容赦しろ。

「六助ダッサ!」。頭の中で直樹が腹を抱えて笑っている。 翼と柾輝が肩を竦めて、兄貴がいつもみたいにしょうがねぇなって顔で手を伸ばす。 …あーそっか、これが走馬灯ってやつか。平和過ぎて欠伸が出そうだ。つーか直樹マジムカツク。

ほんと、なんでこんなことになったんだろう。
…監督、どうしちまったのかな。が優勝者とか、まだ信じらんねえし。


(こんなとこ見せてごめんな。)


バランスが崩れて倒れる刹那、目の端に映った風祭の死にそうな顔に、死ぬのは俺なのにとちょっと笑った。
翼、柾輝、…。俺の代わりに兄貴たちにただいまって言ってくれよ。

見上げた太陽が眩しくて目を細めると、もう、色も音もわからなくなった。