底意地の悪さを思い知らされるのは、これで何回目だろう?



幼馴染




英士と二人で出掛けるのは、多分初めてだと思う。
出先で偶然会ったり、四人で集まった時にちょっとコンビニに買い出しに行ったりはしても、
こうやって場所と時間を指定して出掛けるのは初めてだ。
(初めてがまさか今日だなんて…)(特に深い意味はないけどね!)

頭の中にぽんっと浮かんだピンク色の単語に慌てて首を横に振って、はあ、白い息を吐く。
平常心、平常心。今更緊張する関係では、まあ、なくはない、けど、……うん。考えたら負けだと思うの。


「なに一人で百面相してるの」

静かに響いた声に思わず肩を揺らして顔を上げれば、相変わらず涼しい顔をした英士が少しだけ眉根を寄せていた。
あたしは「何でもない」と首を振って、英士の鋭い観察眼から逃げるようにマフラーを口許まで引き上げる。

「それより今日どうするの?」
「…結人から何も聞いてないの?」
「、え?」

ぱちり、睫毛を叩くと、静かに吐息を落とした英士がコートのポケットから携帯を取り出した。

「買い物リスト。一馬の家に集まるらしいよ」
「……聞いてない」
「不満そうだね」

…あ、まずい。
嫌な予感がして慌てて口を開こうとしたけれど、無情にも爆弾は投下されて、

「そんなに俺と二人っきりが良かった?」

とても綺麗に微笑んだ英士に、もう、声も出ない。

「……」
「その顔面白いね」
「なっ!」
「ほら、早く行くよ」

時間が惜しい。
ぽつりと落とされた呟きは、敢えて拾わずに歩き出した――のに、

「…、……え、?」

するり、とても自然な流れで手のひらを掴まれて、一瞬何が起こったのかわからなかった。
自分から握り返すことも出来ないまま、繋がった手と一歩先を行く横顔を交互に見るあたしに、前を見たままの英士が口を開く。

「誕生日プレゼントってことで良いでしょ」
「……英士は人前でこういうことしない人だと思ってた」
「得意ではないけど、こうでもしないとはすぐ壁を作るから」

「俺が君を好きだってこと、忘れないで」

ちゃんとデートのつもりだから。
さらりと付け足された言葉に、心臓がきゅっとなる。…また、見透かされた。



――というか、今更だけど誕生日パーティーの買い出しを主役にさせるのってどうなの?
お金は後で英士抜きの三人で分けるんだろうけど…ねぇ?
マグカップを手にううん、と首を捻ると、「なに?」。湯気の向こうから静かな声。

「眉間に皺」
「…あぁ、うん、何でもない」

大したことじゃないので首を振れば、目の前の綺麗な顔が不満気に歪む。

「気になるから聞いたんだけど。なに?」
「…別に大したことじゃなくて、」
「うん」
「ただちょっと、結人のこと考えてただけ」
「…」
「…英士?」
「別に。――ただ、」

「デート中に他の男のことを考えるなんて、随分余裕が戻ってきたなと思って、ね?」

「ッ、」


眉根を寄せて口角を僅かに上げた英士は、湯気の上ったカップをソーサーから持ち上げてそっと口を付けた。
…あぁ、なんて心臓に悪い。

「面白い顔」
「…誰の所為だと」
「さあ。の所為じゃない?」

器用に片眉を上げる姿に一度きゅっと口を結んで、温かいマグを両手で包む。

買い物の合間に休憩で立ち寄ったこの店は、あたし一人なら尻込みしてしまうような大人の雰囲気が漂う喫茶店。
コーヒーをメインに扱っていると知りながらもメニューの中から大人しくココアを選んだあたしとは違い、
お店に入る時と同じように平然と、慣れたような口振りでコーヒーを頼んでた癖に、

……大人なんだか子供なんだか…。

今のはあたしの反応を見て楽しみたかっただけだろう(悪戯好きの子供か!)。
その証拠に、英士の纏う空気は柔らかい。

「ねぇ、あたしで遊ぶの止めてくれる?」
が俺と二人きりの時に他の男のこと考えなくなったらね」
「…」
「そこで黙るから遊ばれるんだって気付いてる?」
「気付いたところで返す言葉が見つからないんだって、気付いてる?」
「当然」

…あれ?
ふっと、目じりの力を抜くように笑った英士に、ぱちり、瞬く。
……何だろう。何か、もしかして、

「英士、すごく機嫌が良い?」

意地の悪さは相変わらずだけど、なんて言うか、うん。純粋に楽しそう。
じっと英士を見つめれば、視線の先で形の良い唇がとても綺麗に弧を描いた。


「誕生日に好きな人と二人きりなんだから機嫌が良いに決まってるでしょ」


――不意打ちだ。ひどい。一気に熱を持った顔を誤魔化す隙もない。

「どうかした?」
「―、〜〜ッ!」

まともに顔が見られなくて目を逸らしたままガタッと席を立つ。
もう今は逃げたって思われても良い。寧ろ逃げたい!

「……。…化粧室なら向こうだよ」

…ちくしょう英士め。中途半端に耐えないでよ声震えてるんだよばかっ!
口許を隠しながら告げた英士をキッと睨み付けて、だけど視界がぼやけていたから、たぶん、効果は殆どなかったと思う。
人って恥ずかしいと涙腺が緩むんだね別に知りたくなかったかな!


「……」

鏡に映った顔が赤いのは、暖房に当たり過ぎた所為じゃない。
自分でもわかってるし、英士にだってバレバレなのもわかってる。
――でも、

「…、……そんな顔しないでよ、ばか」

ぺちり、両手で頬を叩く。
誰に言い聞かせたかったのかなんて、わかんない。わかんないけど、でも、このままじゃだめなことは、わかってる。
…わかってるけど、わかんない。わかんないんだよ、――。


、悪いけど急いでそれ飲んじゃって」
「え?」
「結人が真田家の台所を腐海にする前に帰るよ」

席に戻って早々放たれた言葉にきょとんと瞬く。
一拍遅れはしたもののあたしが意味を理解したと気付いたのか、それとも単に面倒なのか、
英士は説明の代わりに一つ息を落とした。

「ピザとケンタ買いに行くんじゃなかったっけ?」
「そっちじゃなくてケーキの方」
「…うわぁ。デコレーションしたくなったのかな?」
「そうなんじゃない?散らかさずに作れるなら放っておいても良いんだけどね」
「いつも後で片付けるって言って、結局お腹いっぱいになったら動かないからなー」
「まだ買い物段階だから一馬がどうにか気を逸らそうとしてるみたいだけど、無理でしょ」
「うん。帰ろっか」


店を出ると当たり前のように繋がれた手に慣れることはないけれど、
最初に誕生日プレゼントと言われたこともあって此方からも一応軽く握り返す。
欲がないとは思わない。だって、英士があたしを好きなことはちゃんと知ってる。
…だけど、どうしよう。

一応、プレゼント用意してるんだけどなー。

英士の気持ちを知っているからこそ、形に残る物は止めようと思って、
そうすると自然と食べ物が浮かんだんだけど、手作りはなあ、と思って…でも、味の好みがあるから買うに買えなくて、
悩んで悩んで、結局コーヒー味のマフィンを作ったんだけど……。

「……」

少しだけ視線を持ち上げて、電車に揺られる英士を盗み見る。
……どうしよう。こんなことなら一番最初に渡しちゃえば良かった。
視線を落とせば繋がった手。
……、あぁ、もう、困ったなあ…。

「酔った?」
「え?…ううん、平気」
「そう。……心配しなくても、駅に着いたら離すよ」
「、え」

少しだけ困ったような横顔が紡いだ言葉の意味がわからなくて首を傾げるあたしに
英士はさらりと「知り合いに見られたら面倒でしょ」と言葉を足した。

「…、……」

――ざわり、揺れた感情の意味を、あたしはまだ、わからなくて。

「降りるよ」


だけど、電車を降りてすぐ、とても自然に離れて行った手のひらに、

「、…?」

手を伸ばしたのは、あたし。


「…っごめん、なんでもない」
「なくないでしょ。なに?」
「……」

立ち止まった英士にはっとして慌てて離した手のひらは、するり、指先から絡め取られる。
俯いたあたしの顔を覗き込むその顔が、声が、酷く優しくて――「うん?」
黙ったまま動けなくなってしまったあたしに嫌な顔一つせずにゆるりと首を傾げたりするから、


「……、…誕生日、おめでとう」

「……くれるの?」
「英士、コーヒー好きだから」
「…そう。ありがとう」

鞄の中で眠っていた紙袋をおずおずと差し出すと、とても柔らかな声が降る。
もう、今日だけで何回目だろう。
こうやって、ふとした時に、この人はあたしのことが好きなんだと思い知らされるのは――。

そして、

「つまりは、誕生日プレゼントじゃなくても俺と手を繋いでくれるってことだよね?」
「!、……ッ」
「面白い顔」
「だ!っから、誰の所為だと…!」
「俺の所為、でしょ?」

―そんな顔しないでよ、ばか。
(繋がった部分から熱が出たみたい)(手を繋ぎたくなるのも、顔が赤いのも、全部寒いからだよ…ね?)