俺が「もういい」と思ったら、そこで全部終わってしまう。
離れて行くのなら仕方ない。俺はここから動かずに、通り過ぎるのを見てるだけ。
他人と奪い合ってまで欲しいものなんてなかったし、追い掛けてまで繋ぎ止めておきたい人なんていなかった。

――彼女に出逢うまでは。



幼馴染




「ねぇ、なんであたしのこと嫌いなの?」

はぐらかすことなど容易かった。憎まれ口を叩いて話の内容をすり替えてしまえば良い。
だけどそれをしなかったのは、出来なかったのは、
強く真っ直ぐな声とは裏腹に、固く握り締められた掌が震えていたから。

「そっか、」

呟いて立ち去った彼女を追い掛ければ良かったんだろうか。
足取りはしっかりしていたけど、俺とは決して目を合わせようとしなかった。
…今度こそ嫌われた、か。(無理もない)(仕方ない)

誤解されて当然のことを口にした自覚はある。
そもそも彼女は俺が彼女のことを嫌いだと思っているんだから、誤解にもならないだろう。

最初から友達だなんて思ってなかった。

本心だ。何一つ嘘はない。
一馬の幼馴染だと知ってからも、その前も、俺は彼女を友達だなんて一度も思ったことがなかった。
俺にとって彼女は、―は、ずっと好きな人なんだ。
それなのに、どこに戻れって言うの?昔に戻ったところで俺にとっては好きな人でしかないのに。それ以外あり得ないのに。



初めてを知ったのは、クラブを始めたばかりの頃。
基礎の基礎を繰り返す練習はやってる方だってつまらないんだから眺めてたって面白い筈がなくて、
子供の様子を見に来ている親達だって暫くすれば世間話に花を咲かせる。
それなのにただ一人、彼女だけは楽しそうにじっとフェンスの中を見ていた。
誰を見ていたのかはわからない。だけど時々周りの大人に声を掛けられていたから、誰かの身内なんだろう。

こんなもの見て笑うなんて変な子。

最初はその程度の認識だったし、それ以上になるなんて思ってなかった。
練習の度に見学に来ているわけじゃなかったけど、時々、ふとフェンスの向こうに目をやると楽しそうな笑顔があって、それが必ずだっただけ。
一方的に知っていただけで、話したこともなかった。それこそ、好きになるキッカケなんて何一つなかった。
――だけど、いつの間にか練習の度にを探してた。

結人や一馬と一緒に居るのが当たり前になった頃にはが見学に来ることは殆どなくなっていて、
初めて言葉を交わしたのは一馬の家に遊びに行った日。
多分、を見つけてから一年くらい経ってたと思う。


「結人くんと英士くんだよね?初めまして、です。一馬の幼馴染なの」

俺達を部屋に通すなりすぐにベランダに出た一馬が向かいの家の窓を叩くと当たり前のように顔を覗かせたのがで、
一馬と何か話している彼女の笑顔は俺が見た中で一番楽しそうで嬉しそうで、すっと、その顔がこっちを見て、優しく笑うから。
全部が悪いんだ。
好きだと自覚した時にはもう、の一番の笑顔が誰に向けられているのかわかってしまった。

そこからは全部、ただの意地。
四人で喋っていても俺は決して一人に話し掛けることはしない。
無視をするでも嫌悪感を滲ませるでもなく、ただ話し掛けないだけ。俺の中で決めた確固たるルール。
違和感など抱かせずに上手くやれると思ったし、実際やれた。
そもそもが俺や結人にすぐ打ち解けたのは唯一無二の一馬という存在があったからこそで、
一馬というフィルターは良くも悪くもの目を曇らせていた為に、察しは悪くない筈のが俺の態度に疑問を抱くことはなく――。

そうやっている内にこんな感情は消えてしまえば良いと思っていたし、消えてしまうと思っていた。
だって昔から、俺が「もういい」と思ったら、そこで全部終わるから。


「ヨンサは何でもすぐ手放すね。すぐ人に譲る」

欲しいって言って良いんだよ?…うん。そうまでして欲しいわけじゃないってのはわかってる。
でもね、ぼくは思うんだ。いつかヨンサが、手を伸ばしてでも手に入れたいものに出逢えれば良いなって。

「だってこのままじゃ、寂し過ぎるから」


そう言って、記憶の中の従兄は哀しそうに微笑んだ。

海の向こうにいる従兄が今の俺を見たら何て言うだろうか。
一時期こっちで暮らしていた潤慶は俺との間にある違和感を容易く見抜き、「あの子はヨンサのトクベツなんだね」と嬉しそうに笑ったけれど、

「…、…これはこれで寂し過ぎると思うけど」

だって、嫌いでも良いから、の一番が欲しいなんて、そんな……(ばかみたい、俺)。
頭ではわかってたんだ。良い方に距離を縮めたいのなら、落ち込むを慰め励ませば良いことくらい。
だけどあの日、照れくさそうに、嬉しそうに俺達に報告をした一馬に優しく微笑むを見ていたら、どうしようもなく、苦しくて。

いっそ壊してしまえば良いと思ったのかもしれない。

嫌いだと告げたことによっての中で俺の称号が一馬の親友とは別の何かになった筈だ。
悪い方に動いたのは間違いないけれど、その分遠慮が減ったのも事実。
更に、友達だなんて思ってなかったと告げてしまった今、の望む関係に戻ることなんて出来ないけれど、それでも、

「見てるだけなんてもう無理だ」

(戻れないなら進めばいい)(何度だって手を伸ばす)