「もしかして振られちゃった?」

つきん。冗談っぽく放たれた一言が奥深くに突き刺さる。
きゅっと唇を引き結んだあたしは意識したわけでもないのにいつの間にか右手で左手首を握り締めていた。



幼馴染




「郭選手熱愛報道だって!」

そんな声が飛び込んできたのは適度に空いた電車の中。
はっとして振り向けば女子高生たちが電車の中吊り広告を見上げて顔を寄せ合っていて、釣られるように視線を上げる。
見覚えのあり過ぎる名前と最近人気のアナウンサーの名前が並んで大きくプリントされている広告を目に焼き付けてあたしはそっと目を伏せた。

「上手いよなー。他にもいんのに、あたかも二人だけって風に撮るんだぜ?」

キャップから覗くふわふわの茶髪。
降ってきた声に斜め上を見れば、件の雑誌を開いた結人がにっかしと笑った。

「結人もよく撮られてるもんね」
「人気者は辛いぜ。これを機にアイツも一馬見習って馬鹿正直に本命います宣言すっかもな」
「しないよ」
「そっかー?つっまんねえの」

けらりと笑う結人はページを捲って今度はグラビアアイドルのスクープを熱心に読み始める。
(お前は主婦か)(親友が載ってたからってこの手の雑誌を楽しむ年代じゃないのに)


「んじゃ俺ここだからまたな」
「うん。今度は噂の彼女にも会わせてね」
「どの彼女だっけ?―なんちて。ま、機会があればな」

ひらりと手を振ってホームへと降り立っていく背中はすぐに人混みに紛れて見えなくなった。

大阪のチームに所属している結人がオフの度に帰省するのは多分こっちに彼女がいるからだと思う。
顔も名前も、どんな人なのかも一切知らされていないけど、きっと素敵な人だ。
結人が彼女について何も教えてくれないことはどうとも思っていない。
隠し事(という程でもないけど)を禁止にしているわけでもないし、必要性のないことまで包み隠さず教え合わなければいけない関係じゃないから。
ただ、雑誌に根も葉もないことを書かれることが多い結人と付き合っているその人に、訊きたいことがあるだけで、


「不安になったりしませんか?…なんて、二人に失礼だよね」

結人に対しても、彼女さんに対しても。
わかっているのにこんなことを訊きたくなってしまうのは、
口ではなんでもないと言いながらあたしがあの報道に影響されているということだ。

英士のことを信じていないわけじゃない。
…それでも、臆病で自分を守ることに必死なあたしは、どこかで疑ってしまう。 最悪の想像が真実だったときの為に前もって心の準備とやらをしておこうとする。
言い訳の一つくらいしてくれれば安心出来るのに。…違う。言い訳なんてされたら逆に疑ってしまう。
第一英士はこんなことがある度にいちいちフォローを入れるようなタイプじゃない。
訊けば答えてくれるだろうと知りながら、直接問い質す勇気もないのだ。

電車のスピードがゆっくりと落ちて、やがてぱっかりと口を開けたドアからアスファルトに降りる。

ぐるぐる、ぐるぐる。黒い感情が身体の中を巡っても吐き出す息はただ白くて、それがまたなんとも言えない感情を呼び起こす。
こんなことばかり考えてしまう自分が酷く惨めで醜くて、嫌い。
いつになったら成長出来るのかな。学生の頃からちっとも変わらないあたし。



どれくらい時間が経ったのかわからない。
行き交う人を眺めるのに飽きて爪先を見下ろすあたしに影が落ちて、もしかして、と期待して上げた顔は出来損ないの笑顔のまま、ぴしり。

「お姉さん誰かと待ち合わせ?」
「…え?」
「さっきからずっとそこにいるよね。俺も待ってるんだー勝手にだけど」

最近忙しくて電話もメールも全然だから我慢出来なくって会いに来ちゃった。
いつも会えるわけじゃないからちょっとしたことで不安になったりするんだよねえ。お姉さんもそーゆーことない?

まるであたし自身のことを言われてるみたいだ。なんだか居心地が悪くなってしまって思わず苦笑い。
そんなあたしの心を知ってか知らずか、人懐こい笑みを浮かべた男の子は尚も無邪気に口を開く。

「もしかして振られちゃった?って思ったりして」

ふにゃりと笑う彼の口振りは軽いのに、あたしには重く突き刺さる。
当たり前のように隣に並んだ彼がするすると紡いでいく言葉が何一つ頭に入らないまま、祈るように左手首を握り締めた。

「―それでね、……あれ?お姉さんどーしたの?」

ひょこっと顔を覗き込まれて、まん丸の目の中で情けない顔をしたあたしが一瞬で歪んだ。
見る見るうちに慌て出す男の子に、ごめんなんでもないの、と力なく振ろうとした頭は突然なにかに押し付けられて動くことも出来ずに、


「なに泣かせてるの」


頭の中の霧が一瞬で晴れる。
機械を通したわけでもないのにどこか硬い声は、次いで驚くほど柔らかな音を零した。

「迎えに来てくれるなら教えてくれれば良かったのに」
「…あーっ!」
「!」
「なんだやっぱ嘘だったんだー。お姉さん大丈夫だよーあの記事全部デタラメだもん」
「…え、記事って…なんで知って……、」

「ジロちゃん!?」

「だってねえ、一緒に写ってた人俺の彼女だもん」
「なんでここにいるの?学校は?…あ、郭選手お久しぶりです。同じ電車だったんですね」
「どうも」
「お腹空いたからご飯食べに行こーよ。お姉さんばいばーい」
「…あ、うん。ばいばい」

元気良く手を振る男の子に小さく手を振り返して、訪れた沈黙に小さく身じろぎ。
軽く抱き寄せられた体勢のままでいることがくすぐったくて堪らない。

「…英士、もう平気だから」
「それは残念」

相変わらず意地悪く笑って、だけどあっさりと手を離す。

って案外泣き虫だよね」
「…そうかなあ」
「妬いた?」
「妬いてない」
「嘘ばっかり」

左手首に巻き付いたブレスレットをなぞって笑う。
久しぶりに顔を合わせても憎まれ口ばかりで素直になれないあたしを、英士はいつだって見透かしているのだ。

「俺を想って泣くのは勝手だけど、他の男の前で泣かないでよ」
「…どうして?」
「他のヤツがを笑わせるなんて嫌だから」
「……、わがまま」
「なんとでも」

手首から滑り落ちた大きな手があたしの手を包み込む。
そのまま目線の高さまで持ち上げられて、何がしたいのかと首を傾げた。

「知ってる?男がアクセサリーを贈るのは束縛したいからなんだって」
「…なにそれ、誰に聞いたの?」
「さあ。聞いたのは中学の頃だけど」
「……」
「ねぇ、逆はどうだと思う?」
「…逆って?」
「わかってるくせに」

楽しそうに口角を上げた英士に何だか悔しくて眉を寄せたけど、
英士は涼しげな顔を崩さぬまま繋いだ手の薬指をそっと撫でた。

(そろそろペアリングでも買っておく?)(微笑みの奥に隠れた声が汲み取れる関係に涙が零れた)