思い出は時に重いけど、全部抱きしめて歩いて行くよ。



幼馴染




「こんなとこで泣いてたんだ」

静かに、でもよく響く声に顔を上げる。
相変わらず涼しい顔の英士は、どこか楽しそうにあたしを見下ろしていた。
…あぁ、でもちょっと疲れてるみたい。
きっちりと着込んだ学ランを見て、あたしは少しだけ目を細めた。

「別に泣いてないよ」
「じゃあなんで一人でこんな場所にいるの」

少し前までは仲の良い友人たちと一緒にいたのだ。
写真を撮ったり、笑い合ったり、時には泣いている子を元気付けたり。
だけど今あたしは一人、校舎裏で座り込んでいる。

卒業式を終えて各々が別れを惜しんでいるこの時に、友人がいないわけでもないのに一人でいるあたしが不思議なんだろう。

……そういえば、いつかもこんなことあったなあ。
リレーで転んで一人落ち込んでいたあたしに、優しくないのに優しい言葉をくれたのは英士だ。


「なに笑ってるの」
「…ううん、なんでもない」

思い出して笑みが落ちる。
あの時のあたしはただ一馬が好きで、一馬に恋をしていると思い込んでいた。
――英士には、沢山酷いことをしたと思う。残酷な言葉を吐き捨てたし、きっといっぱい傷つけた。
なのにどうしてこの人は尚もあたしの前に現れるんだろう。
あたしがみんなと一緒にいた時は確か女の子たちに囲まれてたと思ったんだけどな。

「なに?」
「ボタン、全部あるね」
「それがなに」
「どうせもう着ないんだから、一つくらいあげれば良かったのに」

英士は離任式には来ない。その制服には二度と袖を通さない。
…まあ、離任式の出席は自由だし、卒業した三年は私服でも良いんだけどね。
(ちなみにあたしは今のところ欠席予定)(でもあたしと英士じゃ意味が違う)

だって離任式が行われる頃には 英士はもうここにはいないのだ。


「それ、嫌味?」
「なんで?」
「……。そんなに言うならあげることにするよ」

ふ、と視線を落とした英士の手が学ランのボタンに触れる。
上から二番目。所謂第二ボタンってやつだ。
サッカーをしてる割には白い手が目の前に伸びてきて、開いた手の上で転がる金色
校章が描かれた安っぽいボタン。でも、この安っぽいボタンが欲しくて欲しくて堪らない人は沢山いる。

「…なあに?」

目の前で佇むそれをじっと見つめたまま首を傾げる。
顔は上げられない。今上げたら、目が合ってしまうから。

「今更訊くの?―俺のこと意地が悪いって言うけど、も相当だよね」
「きっと英士に似たんだよ」
「影響されたってことは、の中の俺って結構大きいんだ?」
「…、……知らないよ」

あたしの頭の中を占めるのはいつだって一馬だった。
家族とか、友達とか、大切な存在は沢山あったけれど、一番は決まっていた。

だけどあの日 一馬に彼女が出来たあの日から、少しずつ変わっていったの。

あたしの中にずかずかと土足で踏み込んできたのは英士だ。
痛くて痛くて堪らなかった。出て行って欲しかった。
いつの間にか、意味は違えど英士の存在は一馬と同じくらい大きくなっていたから――


動かない金色。細くて、でも大きく逞しい掌に手を伸ばして、その指ごとぎゅっと丸める。

深く深く息を吐いてゆっくりと顔を上げれば当たり前のようにぶつかる視線
眉を寄せた英士にあたしはゆるりと首を振って、ぽつり―「だめだよ」。

「…第二ボタンって好きな人にあげるんでしょ?」
「うん。でも、貰えない」
「……俺の気持ちは迷惑?」
「違う。けど、」
「けど?」

触れたままの手が震えていることに気づいて慌てて引っ込めようとしたけど、それより早く今度は逆に掴まれて動けない。
しっかりと合わせていた筈の視線はいつのまにか逃げるように地面を睨んでいる。
…また、逃げるんだ。英士はこんなにも真っ直ぐぶつかってきてくれているのに、臆病なあたしはまた逃げる。


、こたえて」


掴まれた手が震える。――これはあたしが震えてるから?それとも、
ゆるゆると持ち上げた視線の先、漆黒の瞳は静かに揺れていた。


「だって行っちゃうんでしょう?……広島に、行くんでしょう」


(初めて口に出した言葉)(さよならの足音はすぐそこに)