「じゃあ、そういうことで」 最後に聞いた音はひどくやさしく、どこまでも透明だった。 「飲まないの?」 「飲んでいいよ」 「やだよ、冷めてんだろ」 きみが与えてくれるなら溜息すらいとしい もしもあたしがそれくらいの想いを抱いていたのならあんなにも淡泊な終わりはなかっただろうか。 ひんやりとしたカップに指を這わせながら想像を巡らせても答えに辿り着く前に途切れてしまう。 だって無理なのだ。 どうやったってあたしはあたしでしかないし、そもそも時を遡ることができないのだから考えるだけ時間の無駄。 「用もないのにいつまで居座ってるつもり?いい加減帰れよ」 「いつからここは椎名の店になったの?」 「屁理屈捏ねんな」 「間違ったことは口にしてないよ」 「それはこっちも同じだね。……ちょっと、なにしてんの」 「椎名の溜息ってあったかそうだなあと思って」 「…はあ?」 怪訝そうというより、なにこいつ頭大丈夫?とでも書かれていそうな顔をした椎名を放ってぎゅっと丸めた指を開く。 溜息を閉じ込めたつもりでいた手には当たり前だけどなにもなくて、代わりにあたしの唇から温い温度が逃げ出した。 「ねえ、あたしって冷たい?」 「が冷え症だったとは知らなかったけど」 「今そういうボケは求めてない」 「人の優しさくらい黙って受け止めろよ」 「生憎優しくされるのは好きじゃないんで」 「じゃあなに、痛くされたいわけ」 「……うん、そうかも。あたしきっと、傷つけてほしかった」 それくらいが丁度良かったんだ。 もっともっと傷つけてほしかった。痛いくらい感じさせてほしかった。 きみを好きだという、確かな証がほしかったよ。 張り詰めた息を砕きながらも唇が描くカーブは緩やかで我ながら惚れ惚れする。天の邪鬼もここまでくると才能じゃないの? なんて、自画自賛もいいところだ。馬鹿げてる。 きっとあたしは、誰にもわかってもらえない独り善がりな感情を持て余していたんだね。 …理解ってもらおうともしなかったけれど、 「ご希望なら殴ってやってもいいけど?」 「だからそういうボケは求めてないんだってば」 「こんなことでも言わないとお前のテンポにはついてけないんだよ」 「マシンガントークが十八番の椎名でも?」 「その口縫われたいの?」 「あ、ごめん十八番なのは毒舌だったね」 「表出ろ」 「寒いからやだ」 椎名とのキャッチボールはとてもしっくりくる。きっと波長が合うんだと思う。 捻くれたあたしと合うだなんて言ったら小言の一つ二つ投げられるだろうけれど、それでも否定はしないんだ。 あたしたちの間に横たわる境界線は酷く曖昧で、そのくせ踏み越えることをいつだって良しとしないから。 「かさぶたを引っぺがしたくなるのと同じなんじゃない」 「痛いかもしれないってわかってるのに、って?」 「そう。は昔から人を試すのが好きだから」 「別に好きでやってるんじゃないよ」 「でも嫌いじゃない。違う?」 「違わない。だけどそれは、」 「好きだから」 「…真似しないで」 「単純な思考回路をしてる自分の頭を恨め」 「単純だから目の前のいけ好かない男を恨むね」 「……好きなら好きって言えば良かっただろ」 「やだよ」 「なんで」 「だって、あたしの言葉は軽いから」 いつだって アイシテル の言葉だけが浮いていた。 好きだったけど、たぶんきっとすごくすごくすきだったけど、感情の真ん中が空洞だった。 「そういうの全部言えば良かったんじゃないの」 「言えないってわかってて言うの?」 「俺には言えるじゃん」 「それは椎名だからだよ」 「好きじゃないから?」 「うん。嫌いじゃないから」 「…ばかだね」 あ、また。零れた吐息に手を伸ばす。目に映らない透明な温度。 「…なに?」 「あっためてやろうと思って」 「…、…ばかじゃないの」 「お互い様だろ」 触れることのない筈の指先に触れた温もりに絡め取られるように、熱を孕んでいた瞳が静けさを取り戻す。 一度だけ引き結んだ唇はほんの少し海の味がした。 ほんとはね、心臓が潰れるくらい愛を叫んでみたかったよ。 --------------------------------- シリアストーンの翼さんということで……しりあす、とーん? 説明を省いて会話のテンポに重点を置いたらものすっごく短くなってしまってがっくし。 だけど書いていてとっても楽しかったです。 二人の関係とか、出だしの台詞とか、色々と想像していただければなあと。 |