「ごめんね、ほんとはあたしの仕事なのに」
「え、良いの!?助かるー!いつもありがと!」
がいてくれて良かったよー今度なんか奢るね」



ありきたり なことばがほしい



「へーえ、女バスは連休に合宿かあ」


キーボードに載せたままの右手がとんとん、とリズムを打つ。
左手に持ったプリントにざっと目を通して零れた声は白い壁に吸い込まれるように消えて行った。
この文章を打ち込んで人数分コピーすれば終わりだ。 ディスプレイの右下に表示された時刻に今日もドラマの再放送には間に合わなかったなあと密やかな楽しみを逃したことに少しだけ肩を落とす。
今日の夕飯なんだろう。ハンバーグだったら嬉しいなあ。
カチカチとキーボードを叩きながら頭の中で帰宅までのタイムテーブルを組み立てるのも今となっては慣れてしまった。
最初の頃は作業中に考え事したらタイプミスばかりしてたのに。

打ち込み終えた文章と下書きのプリントを見比べて間違いがないかを確認、印刷前にプレビューを開いて最終確認をして、印刷ボタンをクリック。 プリンターが吐き出した一枚をざっと眺め今度はコピーに回す。女バスは何人だっけ?えーと、メモは…っと。

枚数を打ち込んで後は待つだけだと肩を回したところで、ガラリとドアがレールを走る音。


「…あ、」


響いた声は二重。振り返った私とたった今ドアを開けた彼の声。
私たちの間をほんの一瞬天使が通り抜けて、吊り上がった目じりが少しだけ揺らいだ。


「使っても平気?」
「あ、うん。どうぞ」


平気もなにもパソコン室は私の部屋じゃないのだけれど、目が合った以上なにも言わないのは気が引けたのだろう。
真田くんはそういう律義なところがあるのだ。


「私もう使い終わったからここどうぞ?」


規則的に並んだパソコンを見てどこに座るか悩んでるような真田くんにそう提案すれば、 まだ電源を落としていなかったパソコンのディスプレイから開いたままのワードを削除、 広げたままだったプリント類を片付けてさあどうぞと椅子を引く。
再びコピー機の前に移動した私とは違ってその場から動かない真田くんに内心首を傾げて、しまった、お節介だったかと目が泳ぐがもう遅い。 どうにか言い繕おうと開きかけた口は中途半端に動きを止める。


って嫌って言えねえの?」
「…え?」
「そーやっていつも色んなやつに面倒事押し付けられてんじゃん」


視線の先は私の手元。画用紙にポスターカラーでデカデカと書かれた読書週間の文字を鋭い視線が睨んでいる。


「それ図書委員の仕事だろ」
「大会前で忙しいみたいで。締め切り今日だって言うから代わりにやっただけだよ」


ほら、私茶道部だから暇だし。 言い訳のように口走ったけれど、茶道部の活動が週一だなんて真田くんは知らないから意味がない。
どことなく居心地の悪さを感じて目を逸らせば真田くんはふうんと呟いてパソコンの前に腰を下ろした。 …あ、私が使ってたとこ座ってくれるんだ。それだけで気持ちが和らぐんだから我ながら現金だなあ。


「なあ、」
「うん?」
「化学の教科書持ってる?」
「えーっと、うん、あるよ」
「悪いけど貸してくんね?」
「良いよ、はい」
「サンキュ」
「いいえー。化学でパソコン使う課題出てたっけ?」
「違う、こっちは日本史。歴史上の人物調べろってのあったじゃん?」
「ああ…、あれ?でもそれって一昨日の授業終わりに提出じゃなかった?」
「授業時間内に終わんなかったから期限延ばしてもらった」
「…そっか、真田くん何度か休んでたもんね」


学校を休みがちな真田くんが休み時間にノートを写している光景は何度か見たことがあるけれど、放課後に残っているのは珍しい気がする。 今回は課題の締め切りが重なっていたから仕方なく残ったのだろうか。
そういえば真田くんが私の教科書を片手に解いているプリントは明日が提出日だ。 まだ全部解き終えてないから教科書持って帰ってやろうと思ってたんだよね。……ん?

最後の一枚を吐き出した機械からプリントの束を取り上げひいふうみいと枚数確認。
うん、間違ってないし曲がってもない。それぞれの場所に届けたら帰れるんだけど……困ったな。
大して得意でもない化学のプリントを解くには教科書が必要不可欠。 だけど今それは真田くんも必要としていて、現に彼の手にあるのだ。 帰りたいから返してくれとは言い難い。…終わるまで、待っていようか。


「なあ、」
「うん?」
「教科書返すの明日でも良いか?」
「え、」
「コピー終わったみたいだしもう帰りたいだろ。待たせるのも悪いし」
「え、と……」


じい、と私を見つめる鋭い視線にどうしたものかと意味もなく指が動く。
私としては化学のプリントを解く為にも待っていたいのだけれど、真田くんは私がいたら居心地が悪いかもしれない。


「…うん、明日で良いよ」


化学式は強敵だけど、まあなんとかなるだろう。どうしても解けなかったのは明日教科書返してもらってから授業までにやれば良いんだし。
それじゃあまた明日ね。荷物を纏めて帰ろうとする私の背中にぶつかった、「やっぱり」。


ってやっぱ嫌って言えねえじゃん」


振り向いた私を射抜く鋭い眼差し。
言葉が喉でつっかえて出てこない私を余所に真田くんはエナメルバッグの中からなにかを取り出す――あ、


「……、持ってたんだ。じゃあ私の返してもらっても良い?」


教科書を取ろうと伸ばした手が空を切る。…なんで?頭の上にクエスチョンマーク。掴もうと思った教科書は真田くんの手の中に。
私、真田くんに嫌がらせをされるようなことをしただろうか。全く以て身に覚えがない。
そもそも同じクラスになって以来真田くんとは殆ど話したこともなかったのだ。きっと今が最長記録。


「明日で良いって言っただろ」
「や、でもそれは…、」


右と左に化学の教科書を持った真田くんは相変わらず鋭い視線を私にぶつける。穴が開いてしまいそうだ。
続く言葉を引っ張り出せない私に痺れを切らしたのか大きな溜息。…いやいや、私が吐きたいくらいですが。


「なあ、教科書欲しい?」
「…欲しい、です」


どうして私が下手に出なければいけないのだろう。 全く以て不可思議だけれど、真田くんの視線を浴びているとどうにも強く出られないのだ。


「こっちとこっち、どっちが良い?」


とんとん、人差し指で教科書の表紙を叩く。
悩んだ末にゆるゆると伸ばした手は化学の文字を捕らえるどころか何故だか逆に捕らわれた。



意地悪な指先



だけど私、ほんとうに嫌なときはちゃんとはっきり言うんだよ?






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理系が得意な真田一馬はとってもかっこいいと思う。
好きな子ほどいじめたい強気でちょっと男前?な真田くんも好きです。
一見上手なのは真田くんだけども、もしかしたらそうでもないかもしれないよっていうお話。
最長記録が少しずつ延びて行ったら素敵だね。