いつからだろう、あたしに降り注ぐすべてが大切だったのは
憎まれ口すら いとしい なんて、我ながら呆れたものだ。



幼馴染




薄い膜を張ってるようだ。
放送部が流している音楽も、教室の外から聞こえる楽しげな声も、
―密やかに交わされ始めた囁きすらも、全部が遠く聞こえる。

だからだろうか、頭の中で妙に冷静なあたしが語りかけた言葉のままに
今の状況を生み出す種を蒔いた人を探るべくゆっくりと視線を流す。
目が合ったその人はあたしの顔を見てにっこりと笑った。(…あ、)(この感じ、知ってる)
爽やかで人懐こい雰囲気を漂わせるその人を、あたしは確かに知っていた。


「…、……」


小さく結び目を開けた唇は、けれども音を発することはなくやがて再び結ばれる。

だって名前知らないんだもん。

あれは忘れもしない去年の修学旅行。罰ゲームで告白という偉業をさらりとやってのけたAくんだ。
どんな経緯で罰ゲームの相手があたしになったのかは知らないしもうどうでも良いけど、
心の中とはいえ思わず皮肉を言ってしまうくらいだからあたしも案外根に持っていたのかもしれない。…ていうか、ええぇ、

あたしの心情を知ってか知らずか、片手で頬杖を付いている彼は空いた手をひらりと振ってきた。
……うん、なんかすっごく楽しそうな顔。あれ以来特に関わることもなかったのに、一体どういうつもりなんだろう。


「そんな話まだ覚えてるヤツがいたのね。誰が流したか知らないけどデマだったじゃない」

今更蒸返すなんてばっかみたい。ちょっとしたことで大袈裟に騒がれる郭の身にもなってみなさいよ。
呆れたと言わんばかりに教室全体に響くような声を出した友人はそのまま自然な流れで近くにいるクラスメートに同意を求める。
求められた人は確かにそうだと迷う素振りもなく頷いた。

「だからもうこんな話やめやめ。そんな根も葉もない噂持ちだされてもだって困るだろうし。ね?」
「……ぅ、」
?」
「…違う、違うの」
ちゃん…?」

あたしは今、物凄く馬鹿なことをしようとしてる。
彼女は事情を知っているからこそあたしを庇ってくれたんだ。それは本当に嬉しいこと。感謝すべきこと。
嘘を吐いていたあたしを責めるどころか協力してくれた友人たち。あたしの我儘に付き合ってくれた英士。
その優しさに応える為には、あたしはここで頷かなければならない。その通りだって、困った顔で笑えば良い。
――だけどね、

「ありがとう。でも、ごめんね」

引っ掛かってしまったんだ。胸に痞えてしまったの。
だってそれに同意するということは、それは…、否定するということでしょう?
(耳の奥でいつかの結人の声が反響する)(瞳の奥であの時の顔が再生する)


だってほんとうは、根も葉もない噂なんかじゃなかったんだよ。


あたしが紡いだ否定の意味を早くもある程度理解した人や、そうでなくとも不思議そうにしている人たちの視線や声。
注がれるそのすべてから逃げるのはもうやめよう。だってもう十分逃げたもん。周りまで巻き込んで、自分勝手に逃げたよね。
きっと結人は馬鹿だと笑う。そこは否定して良い状況だったと、もっと上手く生きれば良いのにと、笑う。
でもきっと、それはやさしい温度だと思うの。だって彼は、あたしの身勝手さを十分知っているのだから。

最初に他人のふりをすることを望んだのはあたしなのに、嫌気が差した途端 自ら全てを白紙に戻すんだ。

なんて我儘。なんて自分勝手。だけどどうしても、否定なんか出来なかった。出来そうもないよ。
こんな勝手なあたしを好きだと言ってくれた英士の目の前で、その気持ちを否定するような言葉はもう紡げない。

「ほんとはあたしね、」―しっかり透るようにいつもより声を張り上げる。でも、


「嫌いなんだよ」

「………え」
「勝手な噂を流されるのも、ちょっとしたことで妙に勘繰られるのも全部」


続けようとした言葉は、ひんやりとした静かな声に奪い取られてしまった。
確かめるまでもない。この声は、

「結人の友達だから何?俺と彼女が実は以前から顔見知りだったとして、それを黙っていたことで生じる問題って、なに?」
「……英士、」
「それ、止めてって言ったよね。馴れ馴れしくしないでって言ったのに、今になってどういうつもり」
「ちょーっと待とうか郭くんや。俺らさっぱりなんだけど」
「馬鹿だなあ加藤、つまり二人は前から知り合いだったってことだよ。そうだよね、さん?」

決定打となる言葉に頷こうとしたあたしは、だけど鋭く細められた視線に射抜かれて固まってしまった。
答えないあたしに少しだけつまらなそうにした彼は一番最初に爆弾を投下したその人で、あたしから外した視線が今度は英士へと矛先を変える。

「折角だし、説明してくれる?」
「……。理解の早いヤツはもうわかってるだろうけど、俺と彼女は前から知り合いだった。それだけ」
「でもお前ら一年の時から全然関係ないですって顔してたよな。親友の友達なのになんで?」
「親友の友達だからって俺が彼女と仲良くしないといけない理由にはならないでしょ」
「んん、まあそっか」
「それじゃあさっきのは?馴れ馴れしくしないでって、どういう意味?」
「高校が一緒だってわかってすぐ言っておいたんだよ。たとえ校内で顔を合わせたとしても他人のふりをしてほしいって」
「なんで?」

「嫌いだから」

さんのことが嫌いだから、必要以上に関わりたくなかったんだよ」


(また、あの顔)(痛い。いたいよ、英士)