ぽちゃん、水面に落ちる、



幼馴染




白いカーテンを横にスライドさせて顔を覗かせれば、丁度顔を上げた切れ長の目が薄らと丸みを帯びてすぐに元に戻る。
再びカーテンをスライドさせ、黙ったまま訴えてくる視線に応えようとあたしは静かに口を開いた。

「怪我したって聞いて、」
「酷い怪我じゃないから平気」

ふと視界の隅に映り込んだ松葉杖。あたしは一度もお世話になったことがないし、これからもお世話になりたくはない代物。
少しだけ眉を寄せればあたしの視線の先に気づいたのか、斜めに起こしたベッドの上の英士も同じように眉を寄せた。

「入院してるのに?」


実を言うと英士の怪我がそこまで酷いものじゃないのは知っていた。
今こうして入院しているのも検査の為で、予定通り検査が行われれば明日には無事退院らしい。

英士が対戦相手に吹っ飛ばされて膝やった!

怒鳴るような焦った声があたしの鼓膜を激しく揺らしたのは昨日のこと。
自分の部屋でまったり読書をしていたあたしは携帯を耳に当てたまま暫く固まったんだけど、
電話口から聞こえる声が一馬から結人に変わったことで結人のいつもと変わらない調子に釣られるように平常心を取り戻した。
一馬の様子や膝という単語から、もしかして以前の風祭くんのような大怪我を負ったのかと冷や汗を掻いたのは記憶に新しい。
(ちなみにその風祭くんだけれど、怪我も治って今はもう現役復帰している)(夏に行われた代表合宿と同時にドイツから帰国したとか)
一馬があんなに取り乱していたのも風祭くんが怪我をした時のことを思い出したからで、
結人がいつもと変わらなかったのは試合終了と同時に慌てて電話を掛けた一馬と違って監督たちから簡単な説明を聞き出した後だったから。

え?あぁ違う違う、風祭ん時みたいな怪我じゃないって。どっちかっつーと渋沢って感じ…って知らねぇか、悪ぃ!
とにかくそんな大袈裟なもんじゃねーんだけどちょっくら検査入院的な?
俺ら明日も試合だからさ、悪いけど様子見に行ってやってよ。
日曜だしどうせ暇だろ?入院先は後でメールすっからよろしくなー。

この、何とも腹立たしい台詞は勿論結人が告げたものだ。
後半なんて一方的に告げて返事を聞く前に切るんだから堪ったもんじゃない。
……とか思いつつ、言われた通りに足を運んでしまうあたしもあたしだよなー。


だから、入院の一言を放ったのはちょっとした仕返しだ。八つ当たりとも言うけれど。
苦々しく端整な顔を歪めた英士に内心してやったりとほくそ笑む。英士を前にして性格が悪いも何も今更でしょう?

「入団には響かない」

はあ、溜息交じりに吐き出された声。
そこに含まれる感情に気づかないふりをして、いつもと変わらない態度で応じようと努める。

「もう決まってるの?」
「いくつか話はもらってる」
「返事はしてないんだ。…でも、決めてるんだね」

詳しいことは知らないけれど、一馬や結人にもいくつかオファーはきているらしい。
どのチームを選ぶのかなんてあたしが口を挟むことじゃない。(そもそもチーム名を言われてもあたしにはわからないし)
ただ、サッカー一本に絞るということだけは聞いている。渋沢みたいに二足のわらじなんて無理、と笑ったのは結人だったか。

ぽちゃん、

胸の奥で響く音にも気づかないふり。
あたしは第一志望にしていた都内の専門学校に進学することが無事に決まったばかりだ。

ぽちゃん、


「あの時の話忘れたの?」
「え?」

前を見ているようで何も映していなかった瞳に慌てて英士を映し込む。
あの時…?頭の中で反芻しながら言葉の意味を汲み取ろうと僅かに首を倒せば、
立ったままのあたしを見上げる涼しげな瞳の奥で何かが爆ぜたように見えた。

「泣きそうな顔」
「、…泣かないよ」
「そう、残念。…でも、残念だったね」
「え、」

「俺はあの時ちゃんと忠告したよ。だから俺の前でそんな顔したが悪い」


耳元で響く声に強張った身体が震える。
手首を掴まれたと思ったらあっという間に視界が翳り、身体を包む温度に抱きしめられていると理解したばかりなのに。
――追い討ちを掛けるような囁きは、背中に回された腕と同様に微かに震えていたから、


「えいし」


あたしはただ、細くも逞しい腕の中に閉じ込められたまま呼び慣れた名前を口にすることしか出来なかった。



きっと逃げようと思えば逃げられたんだ。
それでも静かな鼓動に酷く安堵したのも、困惑しつつも嫌じゃないと思ったのも、事実で―
(この苦しさがどこからくるものなのかがわからない)(苦しい、くるしい、)