「あ、あの、平馬くん…?」 「なに」 「なにって、あの……」 従兄の平馬くんに会うのは久しぶりだ。 お姉ちゃんと同い年の平馬くんは、平凡な高校生であるあたしとはかけ離れた華やかな職業に就いている。 そんな彼は時々親戚の集まりでもないのに何の前触れもなく一人でやって来ることがあった。 今となっては平馬くんの突然の訪問に対する家の反応も慣れたものだ。 今日だって昼過ぎに突然やって来た平馬くんにお母さんが言った最初の一言は「お昼食べた?夕飯は食べてく?」だったし。 ちなみに平馬くんの回答はどちらもイエス。少し前に一緒に夕飯を食べたばかりだ。 そして今、彼はノックもせずに当たり前の顔をしてあたしの部屋に来たわけで、 「なんであたしにくっついてるの?」 まさか椅子にでもなったつもりなんだろうか。それにしては遠慮なく体重を掛けられてる気もするような…。 ベッドに寄り掛かって読書を楽しんでいたあたしの隣に無言で腰を下ろしたまでは良い。 だけど彼はひょいとあたしを持ち上げてわざわざ自分の前に座らせたのだ。流石に一声掛けて欲しい。 そんなわけで背中にぴたりとくっついている平馬くんは今を時めくサッカー選手だ。 サッカーなんてちっともわからないあたしに言わせれば、テレビの向こうの人。 そんなテレビの向こうの人が、勝手にテレビをつけてあたしの頭の上にぼすっと顎を乗せたりしてるんだけども。 ……おかしいな、ここあたしの部屋だよね?そもそもこの人あたしをぬいぐるみか何かと勘違いしてるんじゃ…。 お腹の前で組まれた腕に苦笑い。 昔から平馬くんはよくわからない人だった。 表情は殆ど変わらないし笑うときも怒るときも声のトーンはおんなじ。 しかも身内の集まりとかで一緒になる度にこうしてあたしを抱えるようにして座るのだから堪ったもんじゃない! 九つも離れた平馬くんはあたしにとって兄みたいな人だけど、実はあたし、昔から平馬くんが苦手だったりする。 だって怖いんだもん。無表情のまま淡々と笑い声を響かせる平馬くんは幼い頃のトラウマだ。 ぬいぐるみか湯たんぽか、こうして平馬くんに抱えられる度に緊張でかちんこちんに固まっているあたしに気づいてほしい。 それにたとえ恋愛対象として見ていないとはいえ、抱きつかれているといっても過言ではないこの状況は平凡な女子高生には毒だ。 もしや精神的嫌がらせなのかな…勘弁してくれ。 「って今高校生だっけ?」 「…そうだけど」 「何年?」 「一年」 「へー、おっきくなったなー」 「……うん」 昔から思ってたけど、平馬くんはあたしにとって宇宙人だ。 どうやったらこの人と上手く会話を成立させることができるんだろう。 思い返せば平馬くんがあたしの質問にまともな返答をくれたことなんてなかった気がする。 …あ、でも話ができるようになっただけまだ今の方がましかも。 あたしが小学生になった頃なんて無言でこの体勢だったからなあ。 ……うん、あれは怖かった。多分あたしが平馬くんに苦手意識を持ってるのってそういう小さい頃の印象が強く残ってるからだと思うの。 笑い方然り。幼心に一種の恐怖体験。 相変わらずくっついている平馬くんに気づかれないように溜息をついて、開いたままだった本を閉じる。 代わりにテレビに視線を向けると、綺麗なアナウンサーが聞き慣れた名前を口にしたところだった。 「……平馬くん?」 「ん」 「これ、テレビ、」 「あー」 「あーじゃなくて」 「勝った」 「うん、そうみたいだね。おめでとう。でも怪我したって言ってるけど…」 神妙な顔で怪我の具合を心配しているアナウンサーの声を聞きながら真後ろにいる件のサッカー選手に声を掛ける。 振り返ろうとしたら頭への重みが増したから諦めた。く、首が痛い。 昔から平馬くんはよくわからない人で、話は噛み合わないし行動も唐突だ。 だから今日も突然やって来た平馬くんを見ても相変わらずだなあと思う程度で特に驚かなかった。 …だけど、 「昨日怪我した人が今ここにいて良いの?」 「病院なら今朝行ったし今日はオフ」 「そうなんだ。……んん?」 今まで気づかなかったくらいだから酷い怪我じゃないとは思う。 だけどたった今放送中のニュース番組で怪我の心配をしているってことは、診断結果を報告してないんじゃ…。 スポーツ選手とメディアの連携がどうなってるのかなんて知らないけど、軽い怪我だってわかってたらあんな顔で心配ですなんて言わないだろうし。 もしかしてこの人、監督さんにも連絡してないとかないだろうか。……あり得る。平馬くんなら否定できない。 「…ねぇ平馬くん、監督さんとかにちゃんと連絡した?」 「……。ここ来る途中にしようと思って忘れた」 「しようよ!一番にしようよ!」 「ん、後でしとく」 「後でじゃなくて、今すぐした方が良いと思う」 「めんどい」 「……。てか怪我したなら家でゆっくりしてれば良いのに」 だめだこの人。監督さんを始めとした関係者の方々、説得できなくてごめんなさい。 心の中で謝りながら呟けば、突如拘束具という名の平馬くんの両腕が力を増した。 ぐ、ぐええ…くるしい。ぎゅうっと締め上げられた所為で一生懸命夕飯を消化している胃が悲鳴を上げる。 拘束というより拷問に近いよこれ。平馬くんの両腕はいつから拷問具になったんだろう。 引き剥がそうと手を伸ばせば逆にぱしりと掴まれた。これで唯一の自由を許されていた手さえ使い物にならない。 どうしたものかと悩むこと数秒。 「う、うぇえ…!?」 今度の悲鳴は胃に止まらなかった。 頭の上から顎が離れたと思ったら、ぽすりと右肩に加えられた重み。 それが何かを理解すると同時に頭の中がぐるんぐるんと回り始めた。胃は苦しくなくなったみたいだけど別の意味で苦しいよ! 今度は精神攻撃ですかと叫びたくなるのをぐっと堪える。というか、声にならない。 「へ、平馬くん…!」 「なに」 「なにって、あのっ……」 若干くぐもって聞こえるけれど相変わらず平然とした声。 あたしの肩に頭というか顔を埋めた平馬くんは、あたしの混乱なんてお構いなしで猫のように首に擦り寄ってくる。 なんなのこの人宇宙人じゃなくて猫だったの!?どっちにしても人間じゃないから話が通じないのが残念だ。 ぬいぐるみ代わりに抱えられるのは慣れというか諦めてたけど、こんな風に顔を埋められたのはこれが初めてで、 (…顔が近い!)まあつまり刺激が強すぎるのだ。顔が見えるのと見えないのとではあたしの中で抱きしめられてるという自覚に差が出るらしい。 というか互いに恋愛対象として見てなくともそういうことに敏感なお年頃だということには気づいてほしい。今更だけど。 「家にいるよりこーやってる方がゆっくりできる」 耳元で響く声がくすぐったいやら恥ずかしいやら。顔が熱い。色んな意味で泣きそうだ。 許容範囲はとうに超えて爆発寸前のあたしを救ったのは、こんこんと響いたノックの音。 「、平馬いる?」 「お、おねえちゃっ…!」 天の助けとばかりに振り返れば、ドアを開けたお姉ちゃんがあたしと平馬くんを見て少しだけ呆れたような顔をした。 ふっと肩に乗った重みが消えて体勢は変えずに平馬くんも顔だけでお姉ちゃんを振り返る。 「やっぱりここにいた。山口さんから電話だよ」 「なんでケースケがここの番号知ってんの」 「ちょっと前に結人経由で訊かれたから教えといたの。ほら、早く出る」 保留中を知らせるメロディーが鳴り響く受話器が差し出されたことによってようやく拘束が解ける。 そうして平馬くんが廊下に出て行くと同時にぐったりと両手をつく。あたしの心情を察したのか、部屋に残ったお姉ちゃんが労わりの言葉とともに頭を撫でてくれた。 「大丈夫?」 「むり。平馬くんやっぱり意味わかんないよ。あたしはぬいぐるみでも湯たんぽでもないのに…」 「平馬は昔からのことが大好きだからね」 「……え?」 「あれ、知らなかった?」 「知らないよ!だって平馬くんいっつも黙ってて、小さい頃は嫌われてるんだと思ってたし、」 「違う違う。が生まれて平馬すっごい喜んだんだよ。俺に妹ができたってそれはもうご機嫌で」 「…パシリにする的な意味で?」 「この流れでなんでそうなるの。…ま、平馬は顔に出にくい分わかりにくいから仕方ないかな」 それには平馬のこと苦手だったもんね。よしよしと頭を撫でるお姉ちゃんをぽかんと見上げる。 妹としてだとしても、まさか平馬くんがあたしのことを好きだなんて思いもしなかった。(だからといって嫌われてるとも思わなかったけど) 今となっては定番のあれも、ぬいぐるみ代わりでも何でもなく彼なりの愛情表現だったんだろうか。 ていうか小さい頃はまだしも思春期に差し掛かった段階であたしが羞恥心を抱くことなんて考えてなかったのかなあ。 …うん、考えてなさそう。ついでにさっきのもこっちの都合なんて全く考えてないよね。 苦手意識を除いて思い返せば、平馬くんがあたしのことを物凄く可愛がってくれていたことに気づく。 無表情と無言は怖かったけど酷いことをされたことなんて一度もない。 それどころか彼は抱きしめるという非常にわかりやすい行動であたしが好きだと示していたじゃないか。 「ケースケ煩いから帰るわ」 戻って来た平馬くんがお姉ちゃんに受話器を渡しながら淡々と告げる。 ぱちりと目が合えば平馬くんはあたしの頭をぽふぽふと撫でた。 「またな、」 「こら、わたしはスルーか」 「おー」 「…良いけどね」 「平馬くん!…えっと、お大事にね。それで、疲れたときはいつでも遊びに来てね」 踵を返す平馬くんの背中に慌てて声を掛けると、平馬くんは顔だけで振り向いてふっと笑った。(う、うわあ…!) 平馬くんの笑顔を見たのは初めてだ。というか、今までは気づけなかっただけかもしれない。 次に会うときはもうちょっと積極的に話しかけてみよう。 さっきとは別の意味で熱を持ち始めた頬を緩ませて、わかりにくくてわかりやすい平馬くんの優しい顔を焼きつけた。 あまやかな爪痕 (全てはあなたの気分次第。まるでねこのようなひと) --------------------------------- 第一段は平馬くん。 気を許した人の前でしか甘えられない、逆にいえば気を許した人にはとことん甘える。 自分ルールが多そうな気まぐれな彼にはそんな猫のような一面があったらいいなと思って。 べたべた触られるのは好きじゃないけど触るのは好き。歳の離れた妹(従妹)が可愛くてたまらない。 きっと彼、実の妹くらいに思ってると思う。複雑なオトメゴコロなんてちっともわからない25歳。 |