先輩っ!……、何してるんですか?」
「ひなたぼっこ」



驚いたような、それでいて呆れたような後輩ににっこり笑うとその顔が引き攣った。
裏庭で猫や犬を侍らせているあたしは確かに異様かもしれないけど、その反応はちょっと傷つくぞ。



「…送辞の確認は終わったんで今度は先輩の番ですよ」
「あーもうそんな時間か。でもごめんよ、あたししばらく動けそうにないみたい」
「冗談言わないでください最後の確認なんですから先輩「ストップストップ」……何ですか?」
「あんまりおっきい声出しちゃうとこの子たちが起きちゃうから」
「……」
「特にこの子は人一倍警戒心が強くて気配に敏感だからね」



ぴんと立てた人差し指を唇に押し当てた後にちょいちょいと手招けば、彼女は眉を吊り上げたまま首を傾げる。 それでも招かれるまま静かに近づいてくるんだから、この子も大概可愛いよね。機嫌を損ねるから言わないけど。



「かわいーでしょ。やっと懐いたんだよ」
「……。先輩の趣味は知ってましたけど、まさか人にまで手を出すとは」
「あ、その言い方なんか犯罪チックー」



*



人って成長するにつれて好きな物や嫌いな物が変化するよね? もちろんあたしもそうなんだけど…でもね、一つだけ小さい頃から変わらない趣味があるの。

それは、警戒心の強い動物を手懐けること。

懐いたときの達成感というか征服感というか、優越感?心の中をむくむくっと満たしてくれる感覚が堪らなく好きなのだ。 犬に猫に鳥。あたしが過去に手懐けてきた動物はいっぱいいる。

そして、そんなあたしの現在のターゲットは――



「かーくーくんっ、あっそびーましょー!」



ひょっこりと顔を覗かせたあたしに、郭くんはあからさまに顔を顰めた。 でもそんな顔も慣れっこだから気にせずに、ついでにいっそ清々しいほどの近寄るなオーラも丸ごと無視して郭くんの隣に座る。 うんざりとした顔であたしから少し距離を取った郭くんは、すぐに本へと視線を戻した。



「おーい郭くーん。本読んでないであたしとお喋りしようよ」
「…」
「もしもーし?聞こえてる?」
「……」
「ねぇ無視?折角今日は郭くんが好きそうなお菓子持ってきたのになー」
「……、…」



お、今ちょっと反応したぞ。


一つ年下の郭英士くんが昼休みになると一人でここ、空き教室にいると気づいたのは三年生になったばかりの頃。
当時からすブーム到来中だったあたしは裏庭で餌付け大作戦を決行したけど失敗して、このままじゃあたしが餌になっちゃう…!ってときに郭くんに助けられたのだ。 まあ実際にはあたしを助けようとしたんじゃなくて黙らせたかっただけみたいだけど、あたし的には助かったからそこら辺は気にしてないよ。
それで、呆然とするあたしに気づいた郭くんは切れ長の瞳を細めて「五月蠅い」と静かな一喝をくれたのね。

その瞬間、あたしは恋に落ちたのです。

……というのは冗談。 嫌そうに顰められた眉、さっさと消えろと無言で訴える瞳。あたしには興味の欠片もないことを示す彼を手懐けたい欲求がむくむくと膨らんでしまったのだ。 手始めにというかお礼にパンの耳(餌付け用ね)をあげようとしたら断られたけどね。そりゃもうばっさりと!
その後も色々話しかけたんだけど見向きもしないの。窓越しとはいっても目の前にいる人間を見事なまでに総スルー。 …もうさ、あたしに総攻撃を仕掛けてきたからすなんかよりよっぽど手懐け甲斐があるよね。
その日からあたしはからすブーム改め郭くんブーム到来中なのである。以上、回想終わり!


郭くんの反応にもうひと押しだと踏んだあたしは、ティッシュを一枚広げて紙袋からお菓子を出す。



「郭くんが無視するなら一人で食べちゃおっと」
「……」
「あ、でもあたしまだお弁当食べてないんだった!」
「……。あなたがぶくぶく太るのも可哀想だから処分するの手伝ってあげても良いよ」
「わーい!そだ、これも食べてくれる?あたし今日はどうしてもメロンパンが食べたい気分でね、お弁当が入らないんだよ」
「…仕方ないね」



噂によるとサッカーをしているらしい郭くんだけど、彼の食生活は乱れまくりだ。
他人の家庭事情に口を挟むつもりはないから詳しいことは知らないけどね、郭くんのお昼はいつだってコンビニで買ってきたものでお弁当箱なんて一度も見たことがないの。 しかもおにぎり一個とかサラダだけとか。学校来る途中で適当に買いましたって感じ。
育ち盛りな上にスポーツ少年として如何なものかと思うけど、郭くんは自分のことに無頓着であんまり気にしてないみたい。 ……ちょっとこの子、しっかりしてそうに見えて放っておいたら消えちゃうんじゃないの?絶滅危惧種なの? 危機感を覚えたあたしは餌付けの一環として何かと理由をつけて郭くんにお弁当やお菓子を食べてもらっているのだ。もちろん作ったのはお母さん。

最初は嫌がられたけど、「郭くんが手伝ってくれないと食べきれないから捨てるしかないねー」の呪文を唱えることによって餌付けに成功した。グッジョブあたし!


読書をやめてお弁当を広げ始めた郭くんを確認して、あたしは家から持ってきたメロンパンにかぶりつく。 警戒心の強い動物よろしく、郭くんは食事をしているところを見られるのが好きじゃない。 一緒に食べるのを許してくれるようになるまで何ヶ月掛ったことか…! 最初の一ヶ月は同じ空間にいてもあたしの存在ごとまるっと無視されてたから、ものすごい進歩だと思うの。 今だって嫌そうな顔はされるし距離は取られるけど、三回に一回くらいは言葉を返してくれるし。溜息交じりだけど。



「先輩はどうして俺に構うの?」



黒板に残ってる数式を眺めながら外はカリっと中はふんわりなメロンパンに舌鼓を打っていると、珍しく郭くんの方から声を掛けてきたからびっくりして横を見てしまった。
箸を止めた郭くんは疑り深い視線を隠すことなくあたしに注いでいる。 郭くんって実は結構顔に出るよね。誰だ郭くんがポーカーフェイスだなんて言ったのは。慣れれば案外わかりやすいのに。 今だってほら、黙ってるあたしに向かってさっさと答えろオーラをびしばしと発してるもん。
思わず笑ったらむっと口をへの字に曲げる。(何この可愛い生き物…!) そんな郭くん観察は置いといて、折角郭くんが声を掛けてくれたんだからこれ以上ご機嫌斜めになる前に答えようか……おや?



「郭くんてあたしが先輩だって知ってたんだ」
「三年のは変人だって有名だからね」
「なーるほど!」
「……」
「…あり?どうかした?」
「変人って言われてなんで笑ってるの。馬鹿なの?」
「それは否定できないけど、郭くんがあたしの名前知っててくれて嬉しいなって」
「…。生徒会長の名前くらい知ってるに決まってるでしょ」
「うん。でも郭くん興味のないことには無頓着だから。それに、初めて呼んでくれたしね」



にんまり笑うあたしに郭くんは切れ長の瞳を少しだけ見開いた。その顔をしっかり確認しつつお菓子を一つ摘む。
これはもう、警戒心を和らげようっていう第一段階はクリアしたんじゃないの?
ちなみに警戒心の強い動物を手懐けるときの最終目標はあたしに寄り添って眠らせることとあたしの手から直接餌を食べさせることなんだけど、 そこらの野良猫よりも警戒心の強い郭くんに王道の「はいあーん」をさせるとなると……むむ。残り少ない日数を考えて首を捻る。



「随分お手軽な思考だね。そんなことよりさっさと質問に答えなよ」
「あ、うん。郭くんが好きだからだよ」
「…」
「どしたの?…あ、もしかしてこれ食べたい?」
「……。先輩って動物を手懐けるのが趣味なんでしょ」
「そーなの。今は郭くん攻略に全力を注いでるとこ」
「俺は人間なんだけど」
「知ってる知ってる。でも郭くん猫、……違うな。狼?…うん、なんか狼っぽいし、保護欲が湧くよね!」
「……」
「てことで郭くん、はいあーん」



抜き身の刀みたいな雰囲気は狼の牙だとすれば郭くんにぴったりじゃないか。日本狼なんて絶滅してるしね。 我ながら素晴らしいと思いつつ会話が途切れたところでレッツチャレンジ。 どうせ失敗するだろうと思いながら試しにちぎったメロンパンを郭くんの口元へ。
むっすりと黙っていた郭くんは大きく溜息をついて、目の前に迫ったあたしの手を掴んだ。(おおっ?) 初めてのスキンシップに思わずにやつく。



「言っとくけど先に手を出したのはそっちだから」
「…うん?」

「俺を手懐けたいんだったら、最後まで責任とってよ」



噛 ま れ た !
寧ろ食べられた!?がぶっと指ごとメロンパンを食べた郭くんは、そのままぺろりと指を舐める。
おわかりいただけるだろうかこの衝撃。一体どこまで野性的なの?からすに総攻撃を受けたとき以上の大ダメージだ。
心底楽しそうに双眸を細めた郭くんを見て、これは手強そうだとむくむく膨らむ欲求のまま頬を緩めた。



*



「先輩たちの馴れ初めはどうでも良いです。さっさと答辞の確認に行ってください」
「えー。だってあたし動いたら起きちゃうもん」
「起こせば良いじゃないですか」
「あ、だめだめ!触ったら噛まれるよ」
「噛むって…人間でしょう?」
「この子大人しそうに見えて結構凶暴だからね。あたし何度も噛まれたから」



手懐けるのにこんなに時間が掛ったのは初めてだ。あたし頑張ったなー。 最終目標をクリアするまでの長い道のりを思い出してうんうんと頷く。 全く理解ができないと眉を寄せる真面目な後輩には悪いけど、先生にはあたしは見つからなかったって報告してくれるととっても助かる。 ―大丈夫、たとえ確認しなくても答辞は逃げたりしないからね!目を離すとすぐへそを曲げる動物とは大違い。



「やっと懐いたんだもん、最後まで責任持たなくちゃ」



あたしの肩に頭をもたげて眠る郭くんを起こさないように小さな声で。
膝の上で丸くなる猫を撫でていた手で今度は綺麗な黒髪を撫でれば、郭くんはくすぐったそうに身をよじった。



ひなたに溶ける

(鋭い牙は誰の為?まるでおおかみのようなひと)





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第三段は郭くん。 一匹オオカミよろしくな彼を懐かせたいなら心が頑丈じゃないとまず無理。
気を許した相手が離れて行くのは寂しいしその度に傷つく自分が嫌だから、態度と言葉で遠ざけて近づけない。
殻の中に閉じこもってるイメージの郭くんは、常に相手の限界を見極めようとしてる気がする。どこまで許してくれるのか、とかね。
…郭くんって割と純粋なんじゃなかろうか。年上だろうが容赦ない可愛げのない可愛い後輩。