きっと今日は厄日なんだ。 幼馴染 膝に怪我をすると何かと不便だと思う。立ったり座ったりする度に鈍い痛みが走るし、傷口が開きやすい。 一瞬の痛みを我慢して楽をするか、多少疲れるけど痛みがない方を取るか…。 斜め前、ぽっかりと空いた一人分のスペースを見ながら悩むこと数秒。 よし、座ろう。そう思って吊革から手を離した瞬間、視線の先が埋まった。 「…」 「……」 「………なんで?」 「空いてたんだから誰が座っても良いでしょ」 「いや、そうだけどそうじゃなくて、」 あたしが座ろうと決心した場所に腰を下ろした学生は、じゃあ何だと言わんばかりに眉を顰める。 他人の空似でもなんでもない。じろりとあたしを見上げる学生はどう見たって英士だ。 あたしはそっと周りを見渡してこの車両に同じ学生服を纏った人がいないのを確認してから再び視線を戻す。 「だって英士、反対でしょ?」 学校を中心にあたしと英士の家は正反対の位置にあるから、あたしと英士が同じ電車に乗り合わせることはない。 クラブがあったとしてもやっぱりあたしの家とは正反対。 どうして英士がいるのかと眉を寄せれば、視線の先の英士はこっちに用事があるからだと簡潔に答える。 ……一馬に用事とかだったら嫌だなあ(寄り道でもしない限り近くを歩くことになっちゃう) 「言っとくけど一馬に用事があるわけじゃないから」 「…別に何も言ってないよ」 「顔に出てた」 どんな顔だよ。聞きたいけど、良い答えは返って来ないだろうから聞かない。 (顔に出にくい方なんだけどなぁ)(相変わらず英士は妙に鋭い) 小さく溜息を零して吊革を握り直す。後夜祭の途中で帰ってきて正解だったな。 最後まで見てからだとサラリーマンの帰宅ラッシュと重なって今頃この車両は満員だ。 そしてふと気づく。この時間に英士が電車に乗っているということは、英士も今まで体育館にいたんだろうか? 熱気溢れる体育館でバンドやダンス、女装を披露する生徒を眺める英士の図はあんまり想像出来ない。 英士ってあんまりそういうのに興味なさそうだもんな。 学祭準備だって殆ど参加してなかった気がする。サボってたわけじゃなくて、サッカーがあったから仕方ないんだけどね。 文庫本を読んでいる英士に気づかれないようにちらりと視線を移す。 あたしから見て英士の右側に座っている男の子の頭が、電車の揺れに合わせるように少しずつ英士の方へ倒れていく。 そういえばこの子、英士の前に座ってた人にも何度か寄り掛かってたなー。 見た目からして中学生かな?時々びくっと目を覚まして慌てて体勢を戻すのがちょっと可愛い。 そして何より、寄り掛かられているのが英士というのが大きなポイントだ。 振り払ったりしないのがちょっと意外。肩に掛る重みを気にすることなく、いつも通りの涼しい顔で読書をしている。 写メって結人に見せてあげたいなー。 気を抜くと零れそうになる笑みを必死で引っ込めながら思う。 きっと結人は遠慮することなくお腹を抱えて笑うと思うの。…マナー違反だし盗撮になっちゃうからやらないけどね。 アナウンスが流れてゆっくりと電車が停まる。英士に凭れていた男の子がぱちっと目を開けた。 「すいません、ここどこですか?」 きょろきょろと辺りを見渡してから、丁度正面に立っていたあたしとかちりと視線を合わせる。 駅名を告げれば、慌てたように足元の鞄を掴み早口で礼を言ってホームへと降りて行った。 「……」 「座らないの?」 追いかけていた視線を戻し、本から顔を上げた英士と、視線で示された空いたスペースを見て思わず首を傾げる。 さっきまで端っこに座っていた筈の英士は、何故だかさっきまで男の子が座っていた位置にいるのだ。 黙ったまま動かないあたしに英士は少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる。 「まだ先なんだから座ってなよ」 「…あ、うん」 「疲れてるんだからさっさと座れば良いのに。そんなんだから先越されるんだよ」 「それ、英士にだけは言われたくない」 少し前、あたしが座ろうとした場所を奪ったのは他でもない英士でしょう? 言外に含めて告げてみても、英士は素知らぬ顔で本へと視線を落とす。 ……なんだコイツ。もしかして喧嘩売ってる? 若干イラッとしつつ隣に腰を下ろす。膝を曲げた瞬間のぴりっとした痛みにそっとガーゼを撫でた。 「痛むの?」 「ちょっとだけ」 「そう。…ま、自業自得だね」 「…好きで転んだわけじゃないよ」 「当たり前でしょ」 「……」 「なに?」 「なんでもない」 「ふうん。…そうだ、本貸してよ。バレンタインにくれた作者の」 「……。図書室にあるからそっちで借りなよ」 「に借りれば期限気にしなくて良いでしょ」 「…じゃあ学校に持ってく」 「俺はそれでも良いけど、委員会が同じだけで特に親しくもないクラスメートのさんが俺に本を貸してくれるの?」 「……じゃあ一馬に、」 「あぁごめん、気が利かなくて。一馬に話しかける理由が欲しいなら遠慮しようか?」 「……。英士どこで降りるの?」 「と同じ駅。話の流れ的に気づいてるかと思ったんだけど…あぁ、そういえばって鈍かったね。忘れてた」 鈍くて悪かったな!――澄ました顔のこの男を殴りたいと思ったあたしは、間違ってないと思うの。 そもそも帰り道でまで英士の嫌味を聞きたくなかったから気づかないふりをしてただけだ。 これ以上英士と話していたくなくて目を閉じようとして…あれ?浮かんだ疑問を口にする。 「一馬に用じゃないのにあそこで降りるの?」 「……には関係ないでしょ」 ちょっと聞いてみただけなのに。答える気がない英士から目を逸らし、今度こそ静かに瞼を下ろした。 ――ちなみに、家の前まで着いたときに図書当番のときに渡せば良かったと気づいた。 (なんで気づかなかったんだろう)(頭の回転が鈍いのは否定できないかも…) |