平和主義者だって、時には力に訴えても良いと思う。



幼馴染




かたり、響いた椅子の音に笑いを引っ込める(こんなに笑ったの久しぶりだなー)
目尻を拭いながら横を向けば、英士の視線はあたしを飛び越えていて、あたしはこてりと首を傾げる。

「英士?」
「―さん、」
「…え?」
「交替みたいだよ。お疲れ様」
「……あ、ほんとだ。郭くんもお疲れ様」

視線を追うように振り返れば、次の店番担当の図書委員がすぐ近くまで来ていた。
振り返ったあたしに「交替だよ」と声を掛けてくれた先輩に場所を譲る為に立ち上がる。
あたしよりも早く立ち上がっていた英士は、向けられる視線なんて全く気づいていないかのように涼しい顔。
だけどあたしは英士じゃない。
不思議そうに眉を寄せる一馬を前に、ちゃんと笑えているのか微妙なところだ。

「なぁ、今―」
「友達と合流する約束してるからもう行くね」

一馬の言葉を遮るように告げて急いでこの場を離れる。

ここは学校で、あたしと英士はクラスと委員会が同じだけの他人。学校では名字で呼び合うのが当たり前なんだ。
そうすることを選んだのはあたしで、英士はそれに合わせてくれている。
……いつものメンバーでいたから忘れてただけだよ。
ざわりと心が揺れたのは、不意打ちだったからだ。忘れてたから驚いただけ。


!」

突然名前を呼ばれて慌てて足を止める。
少し息が乱れているのは、走ったから?それとも――、

「なんで移動してんのよー。入れ違いになると困るからうちらが迎えに行くって言ったのに」
「…ごめん、忘れてた」
って妙なとこで抜けてるんだから」
「でもわたしたちも迎えに行くのちょっと遅れちゃったし、お互い様だよ」
「そーそ。それにのお陰で郭くんと話せちゃったし!」

委員会の仕事が終わったら友達と合流する約束をしていたのはほんとだ。
終了時間を教えていたので、その頃に迎えに行くとも言われていた。
…忘れていたのは、嘘だけど。

「それもそっか。…あ、郭くんと一緒にの彼氏いたんだけど、は会えた?」
「一緒にいた茶髪の人も格好良かったねー」

楽しそうに話す友達に笑う。良かった、この様子だと気づかれてないみたい。
あの場所でみんなと鉢合わせしていたら、あたしと「さんの彼氏」が幼馴染だということに気づかれてしまう恐れがあった。
そして芋蔓式で他人のふりをしている英士との接点も気づかれてしまう。

…なんで気づかなかったんだろう。文化祭に一馬たちが来ることは知ってたのに。
あの場であたしが一馬たちと話していたところを知り合いに見られていなければ良いんだけど…。
それに、一馬にも言っておけば良かったな。
名字で呼び合っていたあたしたちに不思議そうに眉を寄せた一馬を思い出す。
あたしが遮った一馬の疑問には、きっと英士が適当に答えてくれている筈。
余計なことまで言っていないと良いけど…ちょっとだけ心配だ。


「しっかりしなくちゃ」

「ん?何か言った?」
「何でもないよ」

吐き出した息を笑いに変える。
高校生になって初めての文化祭なんだから、楽しもう!



……うん、一応想定の範囲内ではあったよ。だから手は打っておいた。
ばっちりと目が合った一馬に苦笑を浮かべる。

「あ、
「また会ったねー」
「こんだけ人いても行く場所なんて限られてるからね」

出来れば何事もなくすれ違いたかったけど、気づいてしまったのなら仕方がない。
困ったように眉を寄せている一馬に申し訳なくて視線をずらせば、ぴょこんと動くブイサインが目に留まる。
確かめるまでもないけれど辿った先にいた結人は、にっかしと笑みを浮かべていた。

「ほら、この子がだよ」
「さっき古本市のとこで会ったよね」
「あ、そうなの?」
「うん。ちょっとだけ話したし。それよりさーどこの模擬店が一番美味しかった?」
「えっとねー」

別の場所で鉢合わせする可能性には気づいていたから、結人にメールを送っていたのだ。
(あたしが一馬の幼馴染ってことと、英士とのことは黙ってて!)(良い感じの理由を付けて一馬とさんにも頼んでくれると嬉しい)
察しの良い結人のことだから、あたしと英士が他人のふりをしてることは名字を呼んだ時点で気づいていただろうけど。
「なんか奢れよ」――ちょっとだけイラっとくる顔文字とキラキラの絵文字の付いたメールを思い出す。
ニヤニヤと楽しそうにしている結人と違って、さんは良い人だ。流石一馬の彼女…!
さらりと話を逸らしてくれたさんに口には出さずにお礼を言う。
ボロが出ない内にさっさと別れようと思ったのに、世の中そう上手くはいかないらしい。
結人と似たような笑みを浮かべた友達に気づいて先を急ごうとするけど遅かった。

「そういえば真田くんってと同じ中学だったんだよね?中学のってどんなだった?」
「え、」
「あーほら、そんなこと聞かなくて良いから!てか邪魔しないの、行くよ…!」
「慌てるってことは何かあるんでしょー。もしかして問題児だったとか?」
「荒れてるちゃんは想像出来ないけどなあ」
「ね、真田くん教えてよ…!」

一馬ほんとごめんね!刻まれた皺を濃くした一馬に、友達に気づかれないように両手を合わせる。
てか、この子はあたしの中学時代じゃなくて一馬に興味があるんだろう。
さんと仲良いみたいだし友達の彼氏は気になるんだろうけど、お願いだから勘弁して下さい…!
困り果てた一馬を見て、いっそのこと全部正直に話してしまおうかと覚悟を決める。
幼馴染だって言うタイミングを逃したとか、無理矢理にでも理由を付けてしまえば良いんだ。よし、言おう。


「同じ学校だからって全員と知り合いなわけじゃないと思うよ」


あたしが口を開く前に割って入った声に目を見開く。
淡々と、相変わらず涼しげな表情の英士は更に言葉を続けた。

「俺たち違う中学だったけど仲良い人の名前だったら話の途中で出てきたりするから大抵知ってるんだ。でもさんのことは知らなかった」
「へぇ、そうなんだ」
「…」
「それにさんとは委員会のときに少し話すけど、一馬の話が出たこともないし。…ねぇ、さん?」

ゆるりと細められた双眸があたしを映して、その綺麗な笑みに周りの人が頬を染めたけどあたしはそれどころじゃない。
ざわりと心が揺れたのは、間違いなくムカついているからだ!
(お前絶対楽しんでるだろ!)(握り締めた拳を是非ともあの顔にぶつけたい)