一馬の優しさは、いつだって残酷だ。 甘すぎるその毒があたしを侵していることに気づいてなんかないんだろうね。 幼馴染 「俺、なんでと付き合わなかったんだろうな」 暗く重い空気を変えようとしたんだろう。 一馬はきっと、この言葉であたしが笑うと思ったんだ。 泣きそうなあたしに気づいて、和ませようとしてくれたんだ。 ――今一番泣きたいのは一馬なのに。こんなときまであたしを気遣ってくれる(優しすぎるよ) だからその言葉が一馬の優しさなんだってわかってるの。わかって、るんだよ? じわりと目頭が熱くなる。 あぁ拙い。泣くわけにはいかない。あたしはここで笑わなければいけないんだ。 そうだねって、あたしにすれば良かったのにねって、冗談っぽく笑うのが正解。 「…?」 ほら、一馬が不安げな顔してる。お願いだから笑って。顔の筋肉に指令を出す。 事の発端は数日前のことだ。 一馬と出掛ける筈だったさんが「どうしても外せない予定が入った」とのことで前日に電話をしてきたらしい。 それなら仕方ないと答えた一馬は、次の日は結人と英士と遊びに行った。 そこで偶然、見知らぬ男の人と楽しそうに歩いているさんを見かけてしまったのだ。 あたしが知っているのは結人からメールがあったからで、気になって会いに来てみれば一馬は凄く落ち込んでいた。 詳しい話を聞いて、一馬はどうしたいのかと尋ねれば、困ったように笑って言ったんだ。 「別れようと思う。がアイツを好きなんだったら仕方ない」 浮気をされたから別れる――そう言ったなら、きっとあたしは黙って頷いた。 だけど一馬はさんと男の人のことに一切触れずに「他に好きな人が出来たから」とか「もう好きじゃなくなったから」と言うつもりだ。 (ずっと一緒にいたからわかる)(だって一馬は優しいから) まだ好きなくせに。泣きそうになるくらい、さんのことが好きなのに。 だからあたしは駄目だと言った。確かめなければ駄目だと。 本当に浮気だったとしても、一馬が悪者になる必要なんかない。そうやって身を引くなんて絶対に駄目だ。 きっと物凄く情けない顔をしてたんだと思う。泣きそうだったんだと思う。 だから一馬は、重い空気を変えようとした。それだけのこと。 一馬はあたしが一馬のことを好きだと知ってるから。(勿論それが、恋愛感情だと思ってはいないけど) そしてあたしも、一馬があたしのことを好きだと知っている。(それがあたしと同じ好きじゃないことも) だからあたしは笑うよ。一馬の冗談に笑って頷くんだ。 「……。そうだよ、あたしにすれば良かったのに。一馬はばかだね、大馬鹿者だ」 「そこまで言わなくても良いだろ」 良かった、成功したみたい。 拗ねたように眉を寄せてから、小さく笑う。 そんな一馬を見てあたしも笑って、深く深く深呼吸。――大丈夫、あたしは大丈夫。 「だってほんとのことでしょう?一馬はばかだ。勝手に決めて、勝手に終わらせようとしてる」 「!それは、」 「兄弟かもしれないよ」 「に男の兄弟はいねぇ」 「じゃあ親戚」 「…だったらなんで正直に言わねぇんだよ。俺との予定キャンセルしてまで他の男と出掛けるなんて…」 「一馬に言わなかったのはきっと理由があるんだよ」 「でも、」 「一馬が信じなくて誰が信じるの?さんは一馬が好きになった人だよ、浮気なんかしない」 きっぱりと告げれば眉間にぎゅっと皺を寄せたまま視線を落とす。 膝の上で握りしめた手のひらは、ほんの少しだけ震えていた。 そんな一馬を見て確信する。 一馬は迷ってるんだ。別れたくない、信じたい。だけどもし最悪の答えが返ってきたら…? 好きだからこそ臆病になって、考えが嫌な方へ流れていく。 だけどきっとあと一息。一馬が一歩を踏み出せるように、あたしがその背中を押す。 「サッカーと同じくらい好きになった人でしょう?」 はっとして顔を上げた一馬は、あたしの顔をまじまじと見る。 あたしは知ってる。 昔から一馬は告白をされるとサッカーを理由に断っていた。 気になっている人に告白されても、彼女よりサッカーを優先してしまうからと、相手のことも考えて断っていた。 そして、さんに告白されたときもそう。いつもと同じように断った。 ――だけど、違ったことが一つある。 さんは他の人と違ってそこで諦めたりしなかった。 じゃあ友達になって。サッカーの邪魔なんかしないから。メールの返事を強要したりしないし遊びに行こうとしつこく誘ったりもしない。 ただ、もっと知りたいし知って欲しい。ここで終わりにしたくない。 他校生だったさんは電車で見かけた一馬に一目惚れをしたらしく、 一馬がサッカーをしているということは噂で聞いたけどそこまで大事なものだとは知らなかったのだ。 だからサッカーばかりの一馬を知って、それでもまだ好きだったらもう一度告白する。無理だと思ったらまた断ってくれれば良い。 押しに負けた一馬はさんとメールのやり取りをするようになった。 言葉通り一馬が返事をしなくても彼女は文句なんて言わなかったし、友達としてのメールしか送ってこなかった。 そんな彼女に惹かれて、彼女ならきっと大丈夫だと思ったからこそ二度目の告白に頷いたんだ。 二人が付き合いだして一年半ほど経ったけど、二人がサッカー絡みのことで喧嘩をしたことはない。 些細な喧嘩はあってもすぐに仲直りしていたし、本当に仲が良かったから――。 ねぇ一馬。あたしは一馬が大好きだから、いつだって笑っていてほしいよ。 悔しくないって言ったら嘘になるけど、でもあたしじゃ駄目だってわかってるから、 「真実を確かめて、それでもし最悪の結果になったら…そのときはあたしが付き合ってあげても良いよ」 「―ッ、んだよそれ。すっげー上から目線じゃん」 「当たって砕けてもあたしが慰めてあげるんだから、思い切って聞けるでしょう?」 「ばーか、砕けるつもりなんてねぇよ」 「…うん。それでこそあたしが好きな一馬だ」 「サンキュ」 ふわりと髪を撫でられて笑い声が零れた。 痛みがないなんて言えないけど、でもこれは確かに心からのものだよ。 くしゃっと笑った一馬は、それから立ち上がって「行ってくる」と強く頷く。 だからあたしも強く強く頷いて、「行ってらっしゃい」と笑った。 (走り出した背中がとても大きく見えたよ)(その背中に手は伸ばさない) |