何にも知らなかったのは、あたしだったのかもしれない。



幼馴染




全国の優れたサッカー少年達の合同合宿から帰って来て数日、一馬の様子が可笑しい。
帰ってきたその日はまだ普通だった。というか、いつもより興奮しているように見えた。
だけれどそれから暫くして、日に日に一馬の様子が可笑しくなったんだ。
彼女さんと喧嘩でもしたのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい(それならあたしに相談くらいすると思う)


「あー、それな。多分風祭のこと気にしてんだよ」
「……風祭?」
「あれ、知らなかったっけ?都選抜のチームメイト。ほら、あの一番ちっこいやつな!」

遠征やら合宿先やらで行われる試合の応援に行ったことはないけれど、練習試合を見に行ったことはあるわけで
記憶の片隅から結人の言う、一番小さい男の子をなんとか引っ張り出すことが出来た。

「それで、その風祭くんがどうしたの?一馬と同じFWだよね。喧嘩でもした、とか?」
「違う違う。ま、喧嘩みたいなことならしたことあるけど今回は全然違くて。てかあの時のアイツラ面白かったなー」
「……。ごめん結人、その話はまた後で聞かせてくれる?」
「あー、そかそかごめん。んーと、つまりあれだ。大怪我したんだよ、アイツ」
「――え、」
「一馬じゃねーぞ!怪我したのは風祭の方。それに、その怪我に一馬は一切関係なし!」
「そっか、」

風祭くんには悪いけれど、その大怪我をしたのが一馬じゃなかったことに安堵する。
ほっと息を吐き出すと、結人はあたしの心を読んだのか少しだけ笑って、それから「聞かねぇの?」と首を傾げる。

「何で関係ない一馬の様子が可笑しいのか――てこと?」
「ん、」
「その、風祭くんの怪我の具合があんまり良くないんでしょう?そのことで複雑な気持ちなのかなって」

一馬がいつだって気に掛けていた同じポジションの人といえば武蔵森の藤代くんだけれど、
口にしないだけでそれ以外の人だって気にしているのだ。
それはきっと、ポジション争いだとか、そんなことだけではなくて――。

がそう思うんならそうじゃね?選手生命に関わるような怪我っぽいし。つーか、やっぱお前アイツのことよく分かってんな」
「…そうでもないよ。でも、付き合い長いからね」
「生まれてからずっとだっけ?俺、幼馴染とかいねぇから最初は正直お前らの関係って理解不能だった」
「……そんなに変かな?」
「変ってか、吃驚したってーの?初めて会ったときなんか、まだ俺らガキだったじゃん?年だって一桁だったし」
「うん、」
「しかも俺ら三人の中で一番ガキっぽい一馬がさ、の前だとなんか大人に見えるんだよなー。なんだお前誰だよ!みたいな」

あの頃を思い出しているのか、どこか茶化すような、それでいて楽しげにカラカラと笑う結人にあたしも少しだけ笑う。
……そう言えば昔から一馬は一馬だったなぁ。
たとえば野良犬に追いかけられた時
本当は一馬だって怖くて泣きたい癖に、それを必死に堪えて泣いているあたしを励ましてくれた。

次々に浮かんでは消える優しい記憶に、思わず頬が緩む。
いつだってあたしの思い出の中には一馬が溢れているんだ

「それにアイツってさ、からかわれたりすんの嫌いだろ?なのに、のことは周りに何言われても堂々としてんの」
「もしかして結人も何か言ったの?」
「ん、中学になる前?お前ら付き合わないのかーとか、実は付き合ってんのかーとか。ま、そんな感じで色々?」
「……うわぁ、」
「だってよ、やっぱ親友としては気になんじゃん?つーか幼馴染ってあやふやだろ、ここまで続いてんのもスゲーよな」
「……」
「実は未だに色々謎だけど…でもま、お前らはこれが自然なんだな、とも思ってる」
「―自然?」
「そ。なんつーの?付き合ったりはしなくても隣にいるのが当たり前、みたいな?違和感ないぜ」
「…えーと、それは、どうもありがとう……?」
「おー、どういたしまして!」

にっかしと笑う結人を前に、嬉しいとか切ないとか、じわりじわりと押し寄せる波のような感情がこそばゆい。
「なぁ、」――押し寄せてくる波を引き戻したのは、今までとは響きの違う、声

「…なに?」
「聞かねぇの?」
「……一馬と風祭くんが喧嘩したって話?」
「じゃなくて。―まぁそれも言いてぇけど」

意味が分からなくて首を傾げるあたしに、隣に座る結人は向き直るように少しだけ体勢を変えた。
がらりと変わった結人の雰囲気に、この場の空気にあてられて思わず姿勢を正す。


「英士」


予想もしていなかった言葉に、その名前に、息をするのも忘れてただ目を見開くことしか出来ない。
どうして、とか。なんで、とか。
そんな疑問を全部押し止めて取敢えず何か言おうと、遠くなってしまったあたし自身を呼び戻す。
だけど、改めて瞳に映した結人はいつもの悪戯っ子のようなそれとは違う真剣な表情を浮かべていて(あぁ、似てるな)


「英士のこと、聞かねぇの?」


あたしはこの顔を知っている。この瞳を、知っている。
それはサッカーをしている時のような、獲物を捕らえる肉食動物のような、怖いくらい真っ直ぐで透明な瞳。

逃げることは許されないのだと思った。逃げてはいけないのだと、おもった
(何を言われてもはぐらかすのは止めよう)(――はぐらかすことなんて、出来ない)