どうやら人間は理解しきれない事実に直面すると全ての動きを停止するらしい。
……そんなこと、身をもって知りたくなんてなかったのに、



幼馴染




幼馴染という関係が崩れることが怖くて何も出来なかった。
――ううん、ほんとは違う。
それなら、彼女が出来たときに伝えてしまえば良かったんだ。
だってそうでしょ?男女の幼馴染の関係なんて、片方に恋人が出来た時点で今まで通りではいられなくなるのが当然だもの。
それなら、あたしが一馬にとって一番の女の子じゃなくなったあの時点で伝えてしまえば良かったんだ。
今まで通りの幼馴染という関係が崩れてしまったあの瞬間に

だけどそれが出来なかったのは、しなかったのは、


「一馬に気づかれなければ、ただの幼馴染としてずっと隣にいられると思った?」


――英士の言う通りだ。
そうだよ、利用していたんだ。あたしはずっと一馬の優しさを利用していた。
一馬は優しいから、たとえ好きな人が出来ても周りに何を言われてもあたしと距離を置くことはなかった。
それは、良くも悪くも一馬にとってあたしがただの幼馴染だからだ。
あたしの気持ちを知らないから、いつだって隣にいてくれた。
だから、この気持ちを伝えなければ何があってもずっと隣にいられると思ってた。
一馬に好きな人が出来ても、彼女が出来ても、あたしは幼馴染だから隣にいて良いと思っていた。
恋愛感情なんて抱いていないただの幼馴染なら、一番の女の子があたしじゃなくなっても隣にいても良いんでしょう?

「踏み越えられなかったのは、崩れるのが怖いからじゃないだろ」
「……。」
「黙ってないで何か言えば?」


無条件で優しさをもらえるこの位置にしがみついていたのはあたし。
手放せなかったのは……縛っていたのは、あたし自身


「英士には、わかんない」

一馬のことが好きだといって、関係を崩したくないからといって、困らせたくないからといって、
だけどそんなの全部言い訳だ。
彼女が出来る前でも、後でも、一馬が優しいことは変わらないのに。
たとえあたしが幼馴染という関係を崩してしまったとしても、一馬は一馬なのに、――それなのに、

「あたしの気持ちなんてわかんないよ」

ずっと隣にいたかった。一緒に笑っていたかった。いちばんでいたかった。
だから、一馬の一番があたしじゃないって言われることが怖かったの(ごめんなんて聞きたくない)

「他人の気持ちなんてわかるわけないでしょ」
「…そうだね、」
「わからないから聞いてるの。どうして踏み越えられなかったの?―なにが、怖かったの?」

隣にいられなくなること?否定されること?
相変わらず真っ直ぐな瞳であたしを射抜きながら訊ねられて言葉が詰まる。
ずっと黙っていたのに、いざ声を出してみれば口の中がからからに乾いていてまたすぐに閉じることになった。
思えばどうしてこんな状況になっているんだろう。
学校帰りに呼び出されて、お返しだとか何とか言ってブレスレットを渡されて、このまま目を背けていたかった事実に向き合わされて
第一、なんで英士にこんなことを話さないといけないんだろう。
一馬の親友だから?あたしのことが嫌いだから?

ぐるぐると絡まった感情が、爆発しそうになる

「まだ好きなんでしょ。彼女と別れれば良いって、思ってる?」
「…ッ、そうだよ、」

あぁ、もうだめだ。止まらない

さんがいなければって、いなくなっちゃえばいいって…!」
「…」
「何度も思った。思ってるよ!ずっと、そう思ってるよ!……。これで良い?満足?」
「……まだ、さっきの質問に答えてもらってないけど」
「―なに、それ。もう良いでしょ。何なの?もう放っといてよ。英士には関係ない!」

もう嫌なんだ。こんな、こんな汚い感情を、こんなあたしを、見たくない。知りたくない。
お願い見ないで。聞かないで。こんなんじゃ、嫌われちゃう。一馬の隣にいられなくなっちゃう…!

「関係なくないから言ってるんだよ!」

自分でもわけがわからなくて、頭の中はぐちゃぐちゃで
だけど、突然響いた声に――目の前の、いつも涼しい顔ばかりしている英士の怒鳴るような激しい声に驚いて全ての機能がぴたりと動きを止めた。
視線の先の英士も、自分自身の声にはっとしたように目を瞠る。
英士は少しだけ視線を彷徨わせて、小さく息を吐きだしたあと今度は静かにぽつりぽつりと話し始めた。

のこと、本当は一馬に紹介される前から知ってたんだ。時々見学に来てただろ?」
「…うん、」
「だから一馬に幼馴染だって紹介された時は驚いた。ずっと話してみたいと思ってたから」
「……でも、最初からあたしのこと嫌いだったって」
「そんなこと言ってないでしょ」
「言ったよ。だって、最初から友達だと思ってなかった、て」
「そう。はずっと、俺にとって友達なんかじゃなかった。――昔からずっと、好きな人なんだよ」

「だから、一馬のことばかり見てるは嫌い」

漆黒の瞳の中に映り込んだあたしが目を丸くした。
あまりの出来事に脳が上手く働かない。英士があたしのことを好きで、でも嫌いで、それで……?
さっきとは違う理由で絡まった感情は、きちんと処理をするのに時間が掛かりそうだ。

「質問の答えは今度で良いよ。頭働いてないみたいだし。―俺もう行くから、も早く帰りなよ」

正直、目の前で動く唇が何を言っているのかなんてわからなかった。
それでも周りが暗くなってきた頃には半分程その機能を取り戻してくれてなんとか無事に帰宅することができたけれど、


が今も一馬のこと好きなのはわかってるから返事はいらない。
知っていてくれるだけでいいよ。


去り際に残された言葉を理解したのは、眠りにつく数分前
(ちょっと待って)(これが俗にいう言い逃げ?)