背伸びをするのは慣れてる。
それはぼくの身長が同年代の平均より低いからという意味は勿論、精神的な意味でもそうだ。
一般より少し裕福な家庭の一人息子として生まれ所謂お受験戦争の経験もした。ガキながら両親がぼくを愛してくれていることは気づいていたから、ぼくが頑張ることで二人が笑ってくれるのが嬉しかった。
優しさと厳しさを与えてくれる二人が好きだし向けられる期待には可能な限り応えたい。
たとえばそれは有名な進学校に進むことだったり、誰にでも笑顔で愛想良く いいこ でいることであったり。
いつだって二人の自慢でいたかった。憧れの人に少しでも同等に見られたかった。
やらされていたわけじゃない。レールが敷かれていたから仕方なく走ってたんじゃなくて、そこには確かにぼくの意思があったんだ。
だけど、それでも、一度違和感を覚えてしまえば走り続けることなんてできなくて――
「あたしは別に、いいこの称号が欲しいわけじゃない」
…ああ、同じだ。期待を裏切ってしまったことにまだ少し後ろめたさを感じていたぼくに、彼女の一言はこのまま突き進む勇気をくれた。
11/23
「柾輝はええよなあ自分の誕生日は必ず学校休めるんやから」
「お前の場合誕生日が祝日じゃ毎年誰にも祝ってもらえないってぎゃあぎゃあ騒いでただろうね」
「言われてりゃ!」
名目上は一日練習ということになっているが午後はミーティングと称したカワイイ後輩の誕生会。
設立して数ヶ月のサッカー部には部活と呼ぶにはお粗末な部員数と名ばかりの顧問しかいないし、不良のレッテル付きの集団は一部を除いて教師陣から放任されてるから部室でちょっとくらい騒いでも誰も気づかない。
ま、そろそろ本格的に玲を監督にする許可を得るつもりだから実績なんてすぐ付いてくるさ。
午後のどんちゃん騒ぎに備えて事前に決めていた買い出し班と飾り付け班に分かれ、前者であるぼくはカートを押す直樹と六助を従えて買い出しメモを片手にスーパーを闊歩する。
「なあクラッカー買うてええ?」
「これ以上増やしてどうすんだ馬鹿」
「それよか寿司買おうぜ寿司!やっぱ祝い事は特上寿司だろ!」
「スーパー如きの特上で良いなんてお安い舌だね」
なんでぼくが買い出し班なんだよメンドクサイ。…ま、主賓が部室飾り付けんの手伝わされてること考えれば仕方ないか。そもそも脳ミソ足りない二人組に任せたら予算もクソもないからね。
文句を並べながらアホ二人にツッコムことを忘れないぼくは多分思ってる以上にこの状況を楽しんでるんだと思う。悔しいから言わないけどさ。
「あ」
「今度はなに?これ以上お菓子は買わないよ」
「そーやないて。ほら翼あそこ見てみい」
眉間に寄った皺は直樹が伸ばした指の先を見た途端極自然に消え去った。
精肉コーナーで佇む横顔は最近のぼくのお気に入り。
「ふうん、さんの家今日はカレーなんだ」
「や、シチューかもしれへんで」
「よく見ろ直樹福神漬け入ってんぞ」
「―え?……あ、椎名くん。と、井上くんと畑くん、の…弟くん?」
驚いたさんにこんにちはと笑みを向けて彼女が持つ籠を漁り出したアホ二人を引っ叩く。
ぼくもちょっと覗いたけどここまで不躾じゃなかったからね。ほんと恥ずかしいったらないよ。
…うん、まあセンスは悪くないかな。
見慣れた制服姿ではなく私服姿の彼女をちらりと見ての感想。こういうのは嫌いじゃない。
未だにぽかんとしているさんはぼくたち三人を順番に眺めてから気づいたように睫毛を揺らした。
「部活の帰り?」
「惜しい。午後も部活」
「つってもほぼ遊びやけどなあ。…せや、なんならちゃんも来るか?」
「野郎ばっかに祝われるより柾輝も喜ぶかもな!」
「え?」
「…お前らあっちでケーキ選んでこい。ほら金。好きなので良いから」
視界の隅に捉えたコージーコーナーを顎で示すついでに金の入った封筒を渡せば六助も直樹もケーキに惹かれたのかすぐに方向を変えた。扱い易くて助かるよ。
過ぎ去った台風を目で追う彼女の手から籠を奪うとびくりと肩を揺らす。わかり易くて面白い。
「あとなに買うの?」
「え、と、…パン粉」
「パン粉?」
「うん。切れちゃったから買っといてって頼まれて。…あ、カレーには使わないよ?」
「わかってるって」
空になった自分の手とぼくの手へと移った籠を見比べて困ったように眉じりを下げたさんは、だけどぼくが一度睫毛を叩いた後にはもうなんでもないように指先を畳んでありがとうと微笑んでいた。
正直ぼくは彼女に過去の自分を見ている。
人との接し方を始めとした距離の置き方や自分を取り巻く環境への対応の仕方。
上手く生きているようで実はそうでもなくて、時折歯痒そうにしている姿を見かけてはつい何度も口を挟みたくなったし実際挟んだ。
ぼくは一人っ子だし親しくしている親戚に自分より下のやつがいないから、ちょっとしたお兄さん気分を味わいたかったのかもしれない。まあ元からの性分もあったんだろうけど、とにかくぼくにとって彼女はなんだか放っておけないクラスメートとして認識していた。
――それが少し変わったのは、あの言葉を耳にしたから。
いいこの称号が欲しいわけじゃない
前後の流れはわからないし然程興味もない。
ただそれを口にしたのが彼女でそれはぼくが数年前から抱いていた想いと見事に一致していただけのこと。
エスカレーター式の名門校を辞めて公立中学校に転校すると決めたのはぼくで、最初は渋っていた両親も玲の助けもあって最終的にはぼくの意思を汲んでくれた。
今思えば二人はぼくに裏切られたなんて思ってなかっただろうけどそれでもぼくは自分で決めておきながらどこか不安で、学校側や親戚からなにか言われるたびに彼らの自慢じゃなくなってしまった自分が情けなくて、
逃げたのかな、俺。
まだまだちっぽけな身体に二人の純粋な想いは少し重くて、苦しくて。
あんなに愛情を注いでもらったのに、こんなに愛してもらってるのに、なにも返せない自分がどうしようもなく悔しかった。
それこそ自分で選んでおきながらなに言ってんだって話だけど。
だけど俺は大人ぶってもまだまだガキだから敷いてくれていたレールから脱線した俺に二人が愛想を尽かすんじゃないかって、多分、こわがってた。
「さんはさ、いいこってなんだと思う?」
「え?」
「世間一般に言ういいこってやつ。優しい子?利口な子?」
「……、…都合の良い子。かな、」
ほら、やっぱり。
話の流れをぶった切って唐突に蹴ったボールはトスンと俺の胸に跳ね返る。
誰もがこんな捻くれた意味で使っているわけじゃない。本来褒め言葉として使われる方が多い単語。
でも背伸びばかりして無理に大人に近づこうとしてるぼくらにとっては真っ直ぐ受け取れないこともあるんだよ。―勿論今のぼくは両親や玲がぼくにくれる「いいこ」がそんな意味を含んでいると悲観するほどお子様じゃないけどね。
極自然に緩んだ顔の筋肉に待ったをかけるつもりはない。
「さんケーキ好き?」
「嫌いじゃないよ?」
「じゃあさ、このあとちょっと部室寄ってってよ。今日はぼくのカワイイ後輩の誕生日なんだ」
彼女は少し前までのぼくに似てる。
望まない方向に流されるのは止めたみたいだけど、それでもこんな言い方をされて否と言える性格じゃないのをぼくは知ってるんだ。
「だめ?」
――それはきっと、彼女が思っている以上にぼくが彼女を見てるから。
切り分けた感情の一つをあげる
だからきみもぼくを知ってよ。
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