11/14(Wed)





裏表のない人間など存在するのだろうか。

――あぁ、この場合の裏表って言うのは人前での言動と内心とが異なることじゃなくて、 他者から見た一人の人物像…そうだな、「彼はどんな人ですか?」って質問をされた人間が全員同じ意味合いの 言葉で「彼」の人柄を答えることはあるかって捉えてくれれば良いよ。 …解り難い?はあ。それじゃあ知ってる面を表、知らない面を裏って言えば理解出来る?

ぼくの答えは否。何故なら誰もが生きて行く内に身に付ける処世術の一つが猫を被ることだと思っているからだ。

多かれ少なかれ、必要に応じて被るだろ、猫。何も悪いことじゃない。
此処で裏表の話に戻すけど、猫を被っている面しか知らない人から見ればその人にとってはそっちが表、それ以外は全て裏。 素はどっちかって?そんなの今はどうでも良いんだよ。…は?何?気に入らない?猫被りって言葉が? ……ああもうわかったよ言い直すよめんどくせぇな。

例えば家の電話に出る時の声のトーンと普段の声って一緒?ぼくは違う。
相手が誰かわからなければ最初は余所行きの声を出す。知り合いだってわかれば素になるけど、でも、ぼくの素を 知らない人から見れば余所行きが表になるし、勿論対象が違えば表と裏が逆になる。…この説明で満足?あっそ。

だけど、世の中には裏表がない、誰に対しても平等だと称される人間は確かに存在する。単なる社交辞令もあるけどそれは除いてね。

人間は多面性のある生き物だ。それなのに何故そんな人間が存在するのか。
恐らく彼らは表と裏に分けられるどちらの面も他者に曝け出している為、どちらが表、裏なのか境界線が曖昧になり、 結果どちらも同じ面だと周囲が認識するんだとぼくは思う。



「裏と表の区別が出来ない、メビウスの帯みたいにね」
「メビウスの帯?」
「そう。メビウスって数学者が発見したメビウスの帯。メビウスの輪とも言う」
「それなら知ってるよ。両端を一度捩じって貼り合わせた輪っか……よし、出来た。ほら、これだろう?」



ノートを千切って作った歪な輪っかを指先で摘む彼女に頷いて肯定を示す。



「形状と簡単な性質を知っているだけで、生憎数学は得意ではないから君と熱い議論は出来そうにないなー」
「誰がするか。そもそも今は数学の話をしてるわけじゃないから」
「それは良かった」
「メビウスの輪に裏も表も存在しない。だけど、考えてみなよ。その輪自体を表とするなら、360度回して眺めたところで、輪の中心は見えてるの?」
「……どういうこと?」
「だって中心は空洞だろ。その穴の中に何があるかなんてぼくらにはわからない。 見えないってことは知らない一面。メビウスの輪その物を表と仮定するならばつまり、この穴が裏になるとは思わない?」



宙に浮かんだ輪っかの穴の部分に人差し指を突っ込む。 何もない。当然だ。でも、本当に?



「見えないからって『無い』とは限らない。だって穴は確かに此処に『在る』んだから」
「…君はいつもそんな小難しいことばかり考えているの?」
「暇な時はね」
「成程成程、つまり今君は暇だと主張したいわけだ」
「察しが良いところは好きだよ」
「ははっ、極一部じゃないか」
「当然だろ」



声を転がす彼女からノートを拝借して、更に机の上に置かれたペン立ての中からハサミとノリを抜き取る。
端と端を指で摘んだだけの彼女とは違い、しっかりと糊付けした形の良いメビウスの輪を一つ作り、 今度はその輪を二つに増やすつもりで中央から切り進める。



「全体を好きになる程、あんたを知らない」



素っ気なく言い捨てても口許の笑みが崩れないことは知ってるけど。
切り終えた輪は二つに分かれることはなく、四回捩じれた一つの大きな輪になった。



「センパイは裏表がない人間とは言われないだろうね」
「これは郵便屋の顔だもの」
「営業用ってわけだ」
「接客に愛想は欠かせないだろう?」
「態度悪い店員もいるけどな」
「私はクレームが怖いのさ。想像するだけで震えてしまうよ」



言いながら両手をクロスさせて腕を摩る姿がまた一段と胡散臭い。
胡散臭過ぎて誰も彼女の振る舞いが本心だとは思わず、 これはこの場限りのキャラ設定で彼女の素ではないのだと自然と思い至るのだろうが、



「その大袈裟な芝居はクレーム対象になんねえの?ぼくの知る限りあんた学校では常にそれだろ」
「オンオフが面倒だからいっそ学校では常にオンで居ようと思ったまでさ。 勿論、初対面で椎名くんに頂いたように私のこの態度に眉を顰める人は少なくはないだろうねえ」
「どう考えたってぼくみたいなタイプには嫌われるキャラだろ。馬鹿にされてるとしか思えなかったし 郵便屋相手に優位に立ち続けるのってすっげえ頭使う」
「それは褒め言葉として頂戴するよ」
「嫌いだって言ってんだけど。なに、マゾなの?」
「そんなつもりはないけれど、嫌よ嫌よも何とやらって言うだろう?…あはは君は本当に嫌悪を素直に顔に出すなー。 けれど考えてご覧よ。君のようなタイプには意識されているだけ嫌いの方がマシさ。『どうでも良い』が一番酷だからね」
「ふうん?」



日頃の言動からは彼女が周囲の評価を気にしているようには到底思えないが、俺に見えている面が彼女の全てではないのだ。 目を細める俺に居住まいを正す彼女が映る。



「ところで椎名くん、私が白昼夢を見ていたわけではないのなら確か先程君に『現在好きな人はいるのか』と 質問をした筈なのだけれどどうしてこんなにも壮大な話にすり替わってしまったのかな?更に言うならば暇ってどういうことだい?」



歪な輪っかを摘んでいた指をあっさりと放してペンを持ち直した彼女がにっこりと笑う。
此方も同じ表情を描きながら、ぽとん、倣うように輪から手を放す。



「その質問に答えるつもりがないから回答を考える必要がない。イコール暇」



貴重な昼休みを潰して付き合ってやってるだけでも感謝して欲しいぜ。
郵便屋が常に表面しか見せないのを良いことに敢えて尊大な口の利き方をするのはいつものことで、 いつも通り彼女は眉を顰めるどころか左右対称に引き上げた口角から軽やかな声を紡ぐ。



「聡明な君のことだから今までの質問項目の中でこれが一番のポイントだと気付いていてのそれなんだろうけれど、 実名を出すわけでも募集中だと宣言するわけでもないのだからどちらか教えてくれても良いじゃないか」
「答えたところで何のメリットもないし」
「…そうかいそうかい。それでは椎名くん、後日私が耳を塞いでいることがあれば 是非とも鳴り止まない耳鳴りの訳を聞いておくれ。十中八九とある人物へのインタビューを完璧に遂行出来なかった 私に対する周囲の罵詈雑言が耳の奥で反響しているからだと答える筈だ」
「良心に訴えようとするの止めてくれる?」
「訴えても良いじゃないか!文化祭後から連続で掲載している『コンテスト入賞者☆ドキドキインタビュー』が次の記事で 漸くミスター部門だって言うのに栄えある一位の君の記事に空欄なんてあった日にはそれはそれは恐ろしい目にっ……!」



片手で顔の半分を覆って目を伏せる姿からは悲壮感が滲んではいるが、飽く迄「悲愴」ではなく「悲壮」なので ぼくの良心は爪楊枝で突かれた程度にも痛まない。痛むどころかイラッとした。



「タイトルからして気に食わない。てか態々星って言うな」
「生憎私はマゾではないからにべもない返事ではときめけないよ」
「ねえ、帰って良い?」
「それは困るよ椎名くん。ほら、鞄の中から乙女の吐息が聴こえるだろう? 君への恋文をしたためているお嬢さん方だってそれはそれはこの記事を楽しみにしているし、 無効と知った上で君の名をミスに投票した一部の男子だって楽しみにしているに違いないんだ!」
「人間以外の言語が理解出来て堪るか理解したくもなかった一部は砂漠に散れ」
「そんなこと言わずに少しはこの大仕事に抜擢されてプレッシャー半端ない私の身にもなっておくれよー」



いっそ清々しい程に下手くそな泣き真似をする人間のどこから、プレッシャーを読み取れと…?



「うん、無理。来世で頑張れ」
「殺生な!…ん?とどのつまり来世でも私に会いたいと?いやー、光栄だなー」
「その口は何を詰めたら静かになるの?手始めに木工用ボンドで良い?」



俺には彼女の穴は一生見えないに違いない。
いっそのこと塞いでやろうか。手を伸ばせば慌てて彼女が首を振った。ざまあ。








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鳴りやまない耳鳴りのワケ、