10月27日(土)
玲さんとオシャレなカフェでご飯。
美味しいしかわいかった。また行きたいな。
***
雨の音が心地好い。
湿気で髪が変になるし、足元が濡れるし、嫌なこともいっぱいあるけど、
た、た、ぽたたた、
傘を跳ねる音は好きだ。雨粒の音だけは、昔から酷く優しく響く。
「ちゃん、こっちよ」
からんからん、ドアベルの音を聞きながら閉じた傘を可愛らしい傘立てに入れて店内に視線を流せば、
ぱちりと目が合った先で綺麗な女性が手を挙げて微笑んだ。
声を掛けに来てくれた店員さんにぺこりと頭を下げて、わたしの名前を呼んだ女性に近づいて行く。
「こんにちは、西園寺さん」
「こんにちは。迷わなかった?」
「大丈夫です」
「良かった。晴れていれば迎えに行ったんだけれど、ごめんなさいね。私バイクしか持ってなくて」
「え、西園寺さんバイク乗るんですか?」
思わず座ったばかりの腰を上げそうになったけどそれは何とか堪え、
驚いて身を乗り出したわたしに、西園寺さんは形の良い唇で弧を描くと頷いて肯定を示した。
「うわー、カッコイイ…!」
「ありがとう。…そうだ、今度一緒にドライブしましょう?とっても気持ち良いのよ」
「良いんですか?楽しみにしてます」
年上の綺麗なお姉さんへの憧れって、きっと誰にでもあると思う。
西園寺さんと会うのはこの間のを合わせてもまだ三回目だけど、初めて会ったあの時、わたしは一瞬で彼女に惹かれたし、
……思うところはあるけど、やっぱり今も、この人を嫌いにはなれない。―だから、
店員さんに注文を終えてぱたんとメニューを閉じれば、一度小さく深呼吸。
「質問しても、良いですか?」
確かめたい。
この間は彼女と彼の関係を知って驚いて、もう何にも考えられなかったけど、今は違うから。
真っ直ぐ彼女を見つめれば、西園寺さんは笑顔の形を変えて、また一つ頷いた。
「西園寺さんはあの時、わたしが話した“先輩”が誰か気づいていたんですか?」
わたしが西園寺さんに会ったのは中三の夏。一年ちょっと前。
叔父さんの家に行った時に偶然彼女がいて、わたしの制服を見た彼女が声を掛けてくれたのが最初だった。
話した時間は短いけれど、彼女はわたしにとって特別な人。
凛々しいのに柔らかな彼女の雰囲気に中てられて、それまで誰にも言えなかった、
言いたくないけど言いたかった話を聞いてくれたのが西園寺さんだから。
「……あの時は、わからなかったわ。でも、この間会った時のあなたを様子を見て、もしかしたらって思ったの。
だから連絡先を渡したんだけど、…そう。やっぱり、そうなのね」
長い睫毛を伏せた彼女は、その瞳になにを宿しているんだろう。
…かなしそうに見えたのは、きっと間違いじゃなくて、
静かに吐息を落とした西園寺さんは、持ち上げた瞳に真っ直ぐわたしを映した。
「あの子がちゃんを傷付けたことは変わらないし、
今から私が言うことはあなたにとってとても勇気がいることだと思う。だけど、どうしても確かめて欲しいの。
―それは本当に翼が言った言葉だったのかしら?直接聞いたわけじゃないんでしょう?」
「、そ、れは……」
「…ごめんなさい、ちゃんを責めてるわけじゃないの。だけど、どうしてもあの子がそんなこと言うとは思えなくて。
……確かに口は悪いし素直じゃないけれど、人の気持ちを踏み躙る人間ではないって私は信じているから」
「……、…」
からんからん、店の入り口でドアベルの音。
目線を落としてしまったわたしに、また、澄んだ声。
「身内だからって思うでしょう?でもね、それだけじゃないの。翼が大人になったのは少し前のことだから、辻褄が合わないのよ」
「……どういうことですか?」
彼女の言っている意味がわからなくて眉を寄せるわたしに、西園寺さんはパチリと可愛らしく片目を瞑った。
「あとは本人に聞いてみて?」。…美人がやると威力が半端ない、けど、え?
「ちょっと玲、急に呼び出してなんなの?」
――なんで。
首筋がちりちりと痛い。きっと今、少しでも首を横に動かしたら、視界に入ってしまう。
息を呑むわたしから視線を逸らした西園寺さんは、そのままわたしの後ろで視線を留めた。
「早かったのね。お腹空いてない?ご馳走してあげるから座って」
「ぼくが今日久々の一日休みだって知ってたよね?」
「可愛い彼女と予定が合わなかったからって不貞寝するつもりだったんでしょう?」
「なにそれ勝手に作んないでくれる?」
かたん、隣の椅子を引く音に心臓がどきりと跳ねた。
…あぁ、そうか。西園寺さんの隣は荷物があって座れないんだ。
ぐちゃぐちゃの思考の中で妙に冷静な部分が囁くけれど、もう、だまって。
きゅっと、テーブルの下で手のひらに爪を立てる。
「……あれ?お前、玲の知り合いだったわけ?」
わたしの顔を確かめるように、少し首を傾けてこっちを覗き込んだ椎名先輩に、また、心臓が嫌な音を立てた。
「えっと、前にちょっと会ったことがあって」
「ちゃんは榊さんの姪っこさんよ」
「、……は?榊って、あの榊?」
「呼び捨てにしないの」
「ふうん…お前とは妙に縁があるな」
「あ、はは、そうですねー」
「縁って言えば、知ってる?ちゃんは翼の後輩でもあるし、私の後輩でもあるのよ?」
テーブルの上にメニューを広げながら極自然に告げられた何気ない言葉はわたしを殺すには十分で、
息を塞がれたように、目の前が真っ白になる。
「玲の後輩って……、…もしかして、お前麻城出身なの?」
「流石翼、正解よ」
「エスカレーター式だからそのまま上がれば楽だったのに、わざわざ外部受験したんだ」
「あなたはもっと早く外に出てるじゃない。間違った選択じゃなかったでしょう?」
「まあね。それにぼくが飛葉に行ったから玲だってサッカー部の監督やれたんだし」
「ふふ、そうね。そういうことにしておくわ」
テンポの良い会話は二人の関係を表していて、まるでわたしだけ違う世界の人間みたい。
―実際その通りなんだけど。でも、
西園寺さんがなにを考えているのかわからない。だって、知ってるのに。彼女だけが知ってるのに、なんで?
「そう言えば翼が女の子たちから沢山声を掛けられるようになったのって中学に上がってからだったかしら?」
「…なに、急に」
「ラブレター貰うようになったのはそれくらいじゃなかった?」
「……否定はしない」
「あなたあの頃貰ったラブレター全部読んだの?ちゃんと捨てずに取っておいたんでしょう?」
「読んだよ」
「告白の呼び出しだってあったんでしょうねぇ…その子たち待ちぼうけだったのかしら……」
「っ悪かったと思ってるよ!でも仕方ないだろ!あの頃は受け取らなかったし、下駄箱とかに入ってたのは
持ち帰りはしたけどそれだけで読んでなかったんだからっ!」
周りのお客さんに迷惑にならない程度ではあったけど声を荒げた椎名先輩は、
言い終えれば不機嫌そうに頬杖をついてそっぽを向いてしまった。…こんな子供っぽい先輩、初めて見た。
思わず緊張も忘れてまじまじと視線を送れば、「なんだよ」。刺々しい声が投げられる。
「……先輩って、西園寺さんの前だと子供っぽいんですね」
「、はあっ!?」
「翼、静かにしなさい」
二人のやり取りを見ていたら、いつの間にか指先から力が抜けていた。
##
「ごめんなさいね、駅まで送って行きたいんだけれどこれから用事があって…翼、代わりにお願いね?」
という西園寺さん改め玲さんのお言葉により、椎名先輩がわたしを駅まで送ってくれることになったんだけど、
……正直、とっても気まずいです玲さん。
今日が雨で良かったなー。傘の分自然と距離が空くし、言葉の代わりに雨音が響いてくれる。
大した会話もないまま駅に着き、送ってもらったお礼を言って改札に向かおうとしたわたしに、「あ、」。
思い出したように先輩が口を開いた。
「これ、やるよ」
ぐっと手を伸ばされたので両手を広げれば、こてん、転がったテディベア。
「…キーホルダー?」
「さっきのカフェで貰った。オマケだって。玲にやろうかと思ったけど常連だから多分もう持ってるし」
「……わたしが貰っちゃって良いんですか?」
「なに、こういうの好きじゃなかった?」
「、好きです!……えっと、ありがとうございます。大事にします」
「別にただのオマケだけど。ま、気に入ったなら良かったよ。…ほら、電車来るからさっさと行きな」
「はい、…また、学校で」
「ん」
ぺこりと下げた頭を元の位置に戻せば、そのままくるっと後ろを向いて改札を抜ける。
―もし、……もし、今振り返ったら、先輩はまだいるかな?こっち見てるかな?それとも、やっぱり背中しか見えないの、かな。
じわりと火照った身体を誤魔化すように、手のひらのテディベアを握り締めた。
***
悔しいけど、ちょっと嬉しかった。