8/10(Fri)
移ろう季節と同じく感情だって移り行くもので、変わらないままでいることは何よりも難しい。 何かが崩れて新しい形を作り出す衝撃に震え、膝を抱えていた幼いぼくはもういない。 俺はもう変化を恐れる程子供ではないけれど、俺の根底を揺るがす芽生えに向き合える程の勇気はまだ、なくて。 だから、この胸に花は咲かない。 ――これ以上水は与えないと決めたのに、どうして、 「部活動に所属していれば夏休み中も学校に来る機会はあれどこうしてクラスメートが一堂に会するのは 登校日である今日くらい、ともあれば久しぶりの再会に気分が高揚している者の多さには頷けるが、 このクラスの熱気の訳はどうやらそれだけではなかったんだねぇ」 芝居掛かった口調も軽く流せる程、今の俺はとても気分が良い。 「そっちも相変わらず朝からテンション高いみたいだね」 「私のこれは平常さ。随分とご機嫌麗しいようだけれど何か良いことでもあったのかな?君の周りだけ花が咲いているようだ」 「あんたの頭程じゃないよ」 「あはは!達者な口も健在で何よりだ。それはそうと、はい、ずずいと受け取っておくれ」 「…夏休みだぜ?」 「乙女に休みなどないのさ」 そう言って左右対称に口角を引き上げた彼女から差し出された手紙を受け取る。 確認することなく鞄に仕舞う流れもいい加減慣れてきた。 「これって今日集めたの?」 「いいや、先月の配達が済んでから今日までに預かった分だよ」 「そういえば月に一度しか来ないね」 「一度に纏めた方がお互い楽だろう?私だって君への恋文配達ばかりにかまけているわけにはいかないもの」 「じゃあ、」 「『持って来るな』かい?残念ながらそれは聞けない相談だ。飽く迄君は届け先であって依頼者ではないからね」 「人を郵便受けみたいに言わないでくれる?」 「これは失礼」 小言を投げれば軽い謝罪とともに胸に手を当てて肩を竦める。 反省の色がちっとも見られないんだけど?いつもならそう言って眉を寄せてやるところだが、今日はそうしようとは思わない。 やっぱり浮かれてるのかな。 開いたままの携帯に視線を落とせば、ほら、口の端がむずむずとくすぐったい。 「―君は、」 「お、佐川良いところに!ちょっと良いか?」 「これはこれは熊先生、おはようございます。勿論構いませんが、どうされました?」 …今、何か言い掛けなかったか? 俺の目が彼女を捉えるより早く、彼女は響いた声に反応してくるりと首を回してしまったので確かめることは出来ず、 内心首を傾げながらも離れて行く背中を何となく目で追う。 話の内容までは聞こえて来ないが、教室の入り口で彼女と話しているのはこのクラスの担任だ。 「ネコちゃん先輩ってあだ名いっぱいあるよね」 「…あ、そっか今の佐川急便か!先輩ってほんとの名前何て言うんだろ?」 視界の端で首を傾げるクラスメートに、そう言えば俺も未だに知らないと気付く。 いつだって彼女は役職名やそこから連想されるあだ名で呼ばれているし、それで通じてしまうので本名を知る必要がなかったのだ。 …知りたいのかと聞かれれば、そうでもないんだけど。 「そういや伝書鳩とも言ってたっけ」 頬杖を付きながらするりと口を吐いた言葉は誰に宛てたものでもなく隣に居ても届かない程の小さな声だったのに、 (うわ、地獄耳)。絶妙なタイミングで視線の先の彼女が此方を向くものだから思わず目を瞠る。 次いで、にんまりと細められた双眸に口許が引き攣った。頼むからその顔でこっち来んな。 「やあ椎名翼くん、先程は声も掛けずに背を向けて済まなかったね。ところで物は相談なんだけれど、その翼は誰のものだい?」 「……、は?」 この女、頭大丈夫か。 「君はその名に相応しく何処までも羽ばたいて行けるだけの様々な才能がある。今日はその一つをお披露目するチャンスさ」 「何で、ぼくが、そんなことしなきゃいけないわけ?」 「あはは、言葉の節々から不満を感じるなー。けれど仕方がないだろう?私の知る限り君が誰よりも優秀なんだもの」 「ちっとも嬉しくないね。そもそもあんたの仕事の範疇じゃないだろ」 「そんなことないよ。私は郵便屋である前に新聞部、そして一生徒だ。学校側から情報を求められたら 洗い浚い吐く―のは無理だとしても、可能な範囲ならば協力は惜しまない」 そこは大人しく吐いとけよ。いや、今回に限っては出し惜しめ。俺を巻き込むな。 返事の代わりに溜息を返そうと思ったら舌打ちになったけど俺は悪くない。 「そう怒らないでおくれ。君の魅力がまた一つ知れ渡る良い機会だと思って、ね?」 「知られたいとは思ってなかったけどね」 「よし言い換えよう。君の護身術の腕が鈍っていないか確かめる良い機会だと思って」 「舐めてんの?」 「失礼。確かめるまでもなかったね。でもどうか引き受けてくれないかい? 予定していた生徒が数人夏風邪でダウンしてしまって、今の人数じゃ回らないそうなんだ」 「…仲良く夏風邪引いた馬鹿はともかく、登校日に護身術の講習があるなんて聞いてないんだけど」 「休み中の行い云々に関してはそれこそ休み前に長々と聞いただろう?折角の休みを半日犠牲にしてまで 登校したのに似たり寄ったりな話を聞かされても厭きるじゃないか。 だから我が校では毎年生徒会発案の何かしら変わった催しをするんだ。去年は百人一首大会だったね」 「遊びじゃん」 「中々好評だったよ?チーム分けもばっちりで居眠りする隙もなかったし。何より生徒と教師の垣根を越えた白熱バトルが出来たから」 「…だったら今年もそれにしろよ」 はああ。額を押さえて息を押し出す。 俺に護身術の心得があることを何故彼女が知ってるのかとか、この際どうでも良い。 彼女に関わるといつだって調子が狂う。 ――でも、 「引き受けたとして、勿論ぼくに何らかのメリットがあるんだろうね?」 「勿論!可能な範囲でお礼は惜しまないさ。必要とあらば先生方や生徒会とも掛け合おう」 彼女と居ると話題に事欠かない。 有り触れた日常が崩れるのも、時々ならば悪くないと思うのだ。 「その言葉、絶対忘れんなよ」 …困ったな、話したいことがこんなにもあるよ。
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その翼は、誰のもの?(鳩の日) |