7/19(Thu)
埋まらない距離、変わらない関係、 背伸びをしたって大人になれないぼくは、いつまで経っても彼女と対等にはなれない。 「好きな人には頼られたいし支えたい。これは何も男性に限ったことではないさ。 君だって大切な人の力になりたいと思うだろう?…うん、そうだね。思うことと実際何かをするのとは雲泥の差がある。 けれど、良かれと思ってやったことが裏目に出たり、逆に何気ない君の一言で相手が救われることだってあるんだ。 だからね、自分には何も出来ないなんて悲しむことはないんだよ。 それを決めるのは君じゃなくて、君の周りにいる人だもの」 「…でも、」 「うん、そうだね。ぱっと出の私なんかの言葉で軽くなれるならこんなに悩んでいないよね。 でもね、これだけは覚えていて?少なくとも私は、君が笑ってくれればそれだけで、心がふわりと軽くなるよ」 にっこりと完璧な笑顔を広げ優しく頭を撫でられもすれば大抵の女は落ちるだろう。 事実さっきまでの泣きそうな顔が今じゃほんのり耳まで染めてはにかんでいる。 「話を聞くことしか出来ないけれど、何か困ったことがあればいつでも連絡しておいで。 勿論、面白いネタも大歓迎!それじゃあ気を付けてお帰り。また明日」 よくもまあペラペラと舌が回るものだ。 言っていることはそこらの本から切り取って貼り付けたようなものなのに決して薄っぺらく聞こえないのは、 彼女が持つ深みのある声と包容力溢れる笑顔。そして何より、あの目だ。 「目は口ほどに物を言うって、正にあいつだよ」 半袖のカッターシャツから伸びた腕を組んで一度、二度、頷いたその人は、 俺の視線に大袈裟に肩を竦めて見せると今度はしっかりと此方に向けて言葉を放つ。 「怖いよなあ。あの目でじっと見られて、『そうだね間違ってないよ』。なんて言われてみろよ。 誰だって縋りたくなるし何でもゲロっちまうぜ」 「相手が話す気になるまではどうでも良い世間話しながらヘラヘラしてんのに本題に入った途端一切口を挟まず、 話が途切れたところで相手の意見を肯定しつつやんわりと間違った部分を正した上で止めにでっかい飴を与える。 …何これホストそれとも詐欺師?」 「ほんと、そう言いたくなるくらい鮮やかな手口だよなあ」 「その言い方じゃまるで私が犯罪者のようだ」 「喫煙問題有耶無耶にしたり部費ちょろまかしたりした口で言うか?」 二人しか居ない室内で交わしていた会話に極自然に混ざった声に驚くどころか寸分違わず打ち返した彼は、 俺から視線を逸らすと隣り合った二つの部屋を繋ぐドアに手を掛けた彼女に向き直りまたも大袈裟に肩を竦めた。 「お前んとこの部長予算会議に副部長じゃなくて毎回お前送り込んで来んだもん。 そんなん新聞部の独壇場になるに決まってんじゃん」 「失敬な!私は少しお願いしただけで一度たりとも強要したことはないよ。 それに、君がその役に就く際にもこの口で貢献したつもりだけれど?会長殿?」 「その節は大変お世話になりました。てか、非行に走りやすい夏休み前に相談教室開くのは良いけどよ、 試合に勝ち進んでるとこ以外の三年はもう引退時期だってのに何で文化部のお前が未だに我が物顔で部室使ってんの?」 「我が部は引退時期が自由だもの。それに可愛い後輩たちが卒業まで郵便屋をやってくれって頼むんだ、 断れるわけがないだろう?」 「この人タラシが。どんだけ信者増やすんだっつの」 「ちょっと、怪しい宗教みたいな言い方止めてくれる?私は壺なんて売らないし、どちらかと言えばネタを買う側だからね」 「えげつないスクープ掴んで何度教師脅したよ」 「退学は酷過ぎると情状酌量の余地を訴えただけさ」 口を挟む暇もない掛け合いにいい加減うんざりする俺に、二人はくるりと振り返り同時に 「「椎名くんはどう思う?」」 見事なユニゾンに目を瞠る。 とは言え正直途中から聞いてなかったし巻き込まれるのはご免だ。はあ。溜息を吐いて口を開いた。 「そんなことよりぼくは、生徒会室と新聞部の間がマジックミラーになってることに突っ込みたいんだけど」 取調室でもあるまいし何でこんな造りになってんだよ。 壁に埋め込まれた硝子からは隣の部屋が良く見えるし、さっきまでの会話が此方に筒抜けだったのは今彼女が押さえているドアが薄らと開いていたからだ。 「プライバシーもあったもんじゃないね」 「全くだ。生徒会長が盗聴に覗きだなんて…」 「おいこら、知っててあの子止めなかった癖に俺一人に押し付けんな」 「おや?」 「誰にも聞かれたくない話する時はしっかり鍵掛けてカーテン閉めて、適当に曲流してんだろ」 「まあそれはお互い様だよね。ところで椎名くん、マジックミラーの仕組みは知っている?」 「何となくは。暗い方から明るい方が見えるんだっけ?」 「ご名答!流石だね。私も軽い知識しかないから説明の手間が省けて助かるよ。 前に新聞部と生徒会、更には風紀委員の確執について話しただろう?その流れで生徒会がいつでも新聞部を監視出来るようにこれが設置されたそうだ。とは言え部屋の明るさが逆になれば新聞部から生徒会が丸見えだし、 何より最低限のプライバシーは護らなくてはならないから、どちらの部屋にもマジックミラーを隠す為のカーテンが付いているのさ」 「で、何かあった時に一々廊下に出ないで直ぐに突撃出来るようにこうして中にもドアがあるってわけ」 「これも同じ理由で鍵が付いているけどね」 回すタイプの鍵をカチカチと回して見せた後、此方に一歩踏み込んだ彼女がそのまま窓を塞ぐカーテンを開けると、 会長も倣うように部屋の電気を点けた。 カラカラと窓が開けばむわっとした風が髪を撫でる。 「エアコン動いてんだから開けんなよ」 「会長だからって仕事が無い時まで我が物顔で生徒会室を私物化するのはどうかと思う」 「お前さっきの根に持ってんな」 「私はエアコンより扇風機派なんだ」 「うわ、そーやっていつもお前は、」 「楽しそうなとこ悪いんですがそろそろ会長がぼくを呼び出した理由を聞いても?」 「っと、ごめんごめん。俺の用件はただ一つ、椎名くん生徒会に入らない?」 「……それは次の役員にってことですか?先輩は三年だから今期で引退でしょう?」 「あはは、まあそーなんだけど。一年の時から生徒会に居座り続けた身としちゃ椎名くんが入ってくれたら心強いなって。 何せ頭も良いし口も上手い。終いにゃ顔も良いと来た!」 「ありがとうございます。ですが、お断りします」 「やっぱりーぃ?なあ聞いた?俺振られちゃった」 「ざまあ」 「酷ぇなおい。てかお前地金出てんぞ。ほら見ろ椎名くんめっちゃ引いてる」 いつだって胡散臭い程の笑顔を振り撒いている彼女の豹変ぶりに驚けば、会長はけらりと笑う。 対する彼女は彼の頭をぺしりと叩いて俺に向かっていつもの笑みを広げた。 「失礼。会長があまりにもあれだからつい、ね」 「あれって何だあれって」 「敢えて明言しない優しさくらい汲んでくれないかな。ごめんね椎名くん、気にしないで」 「別に良いけど…随分仲良いみたいだけど、付き合ってんの?」 「「それはない」」 「うわ、息ぴったり」 「ただの腐れ縁だよ」 「俗に言う幼馴染みってやつな…って、やべ、職員室行かなきゃなんねーんだった」 「戸締りならしておくからさっさと行きな」 「あざす。椎名くんは付き合わせて悪かったな。でも気が変わったらいつでも声掛けてくれよ。んじゃお疲れー!」 「はあ…お疲れ様です」 「転ばないようにね」 彼女に生徒会室の鍵を預けて慌ただしく去って行った背中をぼんやりと見送って机に置いていた鞄に手を伸ばす。 このまま帰るかそれとも一応彼女を待つべきか悩む俺を知ってか知らずか、 先程開けたばかりの窓に手を掛けた彼女は赤く染まった空を見上げて声だけを此方に投げた。 「好きな人には頼られたいし支えたい」 「、え?」 「君をずっと悩ませているのが何かなんてわからないけれど、君の支えになりたい人は沢山いるよ。 例えば、その中に詰まっている言葉の送り主とか」 くるりと振り向いた彼女が微笑んで指した俺の鞄には、数時間前に彼女を介して受け取った手紙がある。 月に一度、郵便屋が運んで来る想いの丈を、ぼくはまだ知らない。 「一方通行の独り善がりでも?」 「人の想いなんてそんなものだよ。通じ合えたところで、それはイコールには成り得ない」 「…それでもぼくは、」 「入学した時から君はいつも退屈そうだったね」 「は?」 「…いや、あれは焦っていたのかな?気掛かりなことがあって、目の前のものはどうでも良かった」 「!ッ、……、」 唐突な話題転換に思わず眉を寄せるも、向けられた眼差しにこんなにも心が揺さぶられる。 ――ああ、そうか。さっきの言葉は、目の前に居る相手だけでなく壁越しの俺に宛てられたものでもあったんだ。 会長も共犯だな。 「春休みにちょっと、ね」 頼られたかった。支えになりたかった。 俺の前では気丈に振る舞っていた彼女が、あの日の選択をずっと後悔していると知っていた。 …まあ、結局ぼくなんかの力を借りることなく、彼女は自分の足でしっかりと進んでいるわけだけど。 今頃あいつはドイツか。俺に出来るのは精々あいつが元気に戻って来るのを祈るくらいだ。 引き上げた口角は自分でも不格好だとわかる程で、だけどこれは、自嘲じゃない。 自分の物差しだけで全てを測るのは間違ってる。俺が何も出来ないか、決めるのは俺じゃなくて、 「大丈夫。この赤い夕焼けがあっという間に冷たい季節を溶かしてくれるよ」 いつまでもあの日に立ち止まってばかりはいられないよな。 静かに頷いた俺に、彼女の目が、「間違っていないよ」。と微笑った。
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赤い夕焼けに冷たい季節を溶かす |