6/15(Fri)
占いなんて信じてないけど、きっと今日の俺の運勢は最悪だったに違いない。 朝、登校中車に泥水を掛けられて制服が可哀想なことになった。 昼、教室で馬鹿騒ぎしてた馬鹿が人の机にぶつかってきた所為で一口も食べてなかった弁当が床に食われた。 そして今、放課後、 「…またか」 昔から時々持ち物が無くなった。 それは使い掛けの消しゴムだったり、いつも使っていたシャープペンだったり、タオルだったり、 小さな物からそこそこ大きな物まで被害は様々だ。 無くなった物は二度と戻らないが、「無い」と気付くと直ぐに代わりの物が用意されるのである意味困ることはなく、 ただ、その度に言葉に出来ないぐにゃりとした感覚が身体中を支配した。 「あれぇ翼くんもしかして傘忘れちゃったのぉ?じゃあ一緒に帰ろうよ入れてあげるぅ」 甘ったるい声に視線を投げれば顔だけがやけに白い女が数人、こっちを見てベタベタの唇を吊り上げる。 何もかも見え透いてんだよ。俺はにこりと人形のような笑みを作って口をひら、「おやまあそこに御座すは椎名翼くんじゃなあい?」 こうとしたが割って入った作ったような声に思わず再び口を噤む。 「梅雨だから仕方がないとは言え朝から降り続く雨には気分が滅入ってしまうねえ。 こんな日にも外で練習だなんて流石天下のサッカー部!個々の体調管理がしっかりしているからこそ成せる業か、素晴らしい」 「勝手に勘違いしてるとこ悪いんだけど、うちは今日休みだよ」 「おや?それにしてはジャージ姿だけれど?」 「…登校中に派手に泥水掛けられた所為」 「それはそれは、何と言葉を掛けたものか…傘で防ぐことは出来なかったのかい?」 「シャツだけは何とかってとこ」 「心中お察しするよ。…と、言うことは傘も泥だらけなんだねえ、いやはや可哀想に」 「ただのビニール傘だから良いけどね」 「成程成程……おや、そこの二年のお嬢さんも車にやられたのかい?」 突然話を振られ驚いたように黒い瞼を瞬かせた女たちは、 けれど質問者の視線が一人に集中していると気付けばそれぞれ目配せをしてその一人を肘で突く。 注がれる視線の数に女は金魚のように口を動かすも、そこから意味を持った言葉は中々発せられそうもない。 代わりに再び響いた声は、助け舟かそれとも、 「可哀想に、傘が泥だらけじゃないか…!だけど良かった、制服は無事のようだ。 彼のサッカー部期待の星でさえも防げなかった突然の不運を傘一本で防ぐなんて余程反射神経が良いと見た、 もしや君はどこかの運動部かな?是非とも記事にしたいからインタビューしても?」 にこにこと笑う唇から紡がれる歌うような言葉にベタベタの唇がさっきとは別な形に吊り上がり、 更に別の意味で白い顔をした女たちは、そのまま早口で別れの言葉を投げると逃げるように下駄箱から去って行った。 「良い記事が書けるかと思ったのに、残念だ」 「…あんた、イイ性格してるな」 「はて、何のことかな?」 「数時間前にした説明と全く同じこと言わせといて何言ってんだよ」 「…んん?言われてみれば昼に手紙を届けに行った際にジャージ云々の話を聞いたような気もするなー。いやあ、うっかりうっかり」 頬に手を当ててわざとらしく小首を傾げる様は酷く滑稽だ。 …それにしても、一体いつから近くに居たんだか。一瞬で状況を理解した彼女の洞察力には舌を巻く。 「ところで椎名くんや、君はこの雨空の下どうやって帰るおつもりで?」 「あんたならどうする?」 「質問を質問で返すとは意地が悪い。そうだな、私なら新聞部に常備している置き傘で帰るの一択だ」 「じゃあそうするよ。案内してくれんだろ?」 「仰せのままに」 すっと目を細めて見上げれば彼女は恭しく頭を下げ、チェシャネコのような顔で、「ついておいで」。と歩き出した。 「へえ、良い部屋使ってんじゃん」 「我が部は歴史が長いからね。ちなみにこの方が初代郵便屋だよ。ほら、この真ん中の」 棚に置かれた写真立ての一つを手に取った彼女がすらりと人差し指で示した白黒の人物に視線を落とす。 当時の部員数が多かった為か一人一人は豆粒サイズで、顔なんて碌にわかったもんじゃないけど。 「歴代の部員の写真飾ってるわけ?」 「いや、出ているのはほんの僅かさ。今でこそ新聞部は人手不足だけれど昔は違ってね。他はアルバムに収めてあるよ」 「飾ってないだけで結局残してるのかよ」 「大事な歴史だもの。サッカー部にも昔の写真の一つや二つあるだろう?」 「一つや二つなら、ね。全部残してるのは新聞部くらいだろ」 「部活動の括りならその通りだけれど、生徒会にも歴代役員の写真が残っているよ」 予想外の言葉に顔を上げると、視線の先の彼女は楽しそうに目を細める。 「ちなみに初代会長と初代新聞部部長はそれはそれは犬猿の仲だったそうで、何かとぶつかり合っていたらしい」 「今の風紀委員と新聞部みたいじゃん」 「勿論初代風紀委員長とも我らが大先輩は犬猿の仲だったそうだよ」 「生徒会との仲だけでもどうにかなって良かったね」 「全くだ。それに今は仕方がないにしても、風紀委員と仲睦まじくなる未来がないとは限らない」 「郵便屋制度が無くならない限り無理なんじゃないの?」 「郵便屋は校内を走り回るからね。だけど、チャンスはある」 にっこりと左右対称に口角を持ち上げた彼女に首を傾げる。 写真立てを棚に戻した彼女は、「少しお遊びをしよう」。と目線の高さに両手を持ち上げた。 「まず、両手の指の腹をくっつける。次に中指だけを折り曲げて、…そう、関節をしっかりくっつけて、 離しちゃ駄目だ。これで準備は完了。それじゃあ今から私の指示に従ってね。―君のご両親はお元気?そう、けれど 一般的に考えて、 はい、親指を離して。『親はいつか居なくなりまーす』。 いやいやそんな顔しないで付き合っておくれよ。 良い?続けるよ? いつか君が結婚して子供が出来たとする、だけど、 はい小指離して。『子供はいつか離れて行きまーす』。 お次は人差し指。 『終には友人も居なくなりましたー』。 残るは薬指、恋人だ。離してみて?」 指示通り順番にくっつけていた左右の指を離して行くが、最後の一つ、薬指だけはどうやっても離れずくっついたまま。 「だからそこに指輪を填めるんだよ」 柔らかな笑みとともに落とされた声に、ぼくは、大きく息を吐き出した。 「こじつけだろ」 「夢があって良いじゃない。応用編としては机に中指だけ折り曲げて載せて、薬指が持ち上がらなくなる呪いを掛けることも出来る」 「子供騙し。で?今の遊びとさっきの話にどんな関係があるのさ」 「おや?わからない?それじゃあヒントをあげよう。初代生徒会長と新聞部部長は後に結婚したそうだよ」 そう言うことか。 目を瞠る俺に彼女はにこりと笑みを深め、傘立てから一本ビニール傘を抜き取ると、ぽん、と広げて見せた。 「未来がどうなるかなんてわからないよ。君だって次の雨の日にはこうして二つの影を繋いで空を見上げているかもしれない」 差し出された傘に手を伸ばす。蛍光灯に照らされた夕暮れ時の室内で二つの影が繋がった。 天気予報に寄れば次の雨の日は明日だとか、室内で傘を開くなとか、 浮かぶ言葉は色々あったけれど何故か口から飛び出すことはなく、きっとそれは向けられた笑顔が人形のようではなかったから。 「長話をして悪かったね。それじゃあ、気を付けてお帰り」 触りの良い声に背中を押され部室を後にした俺が、広げたままの傘を廊下で会った友人に指摘されて慌てて閉じるのは数分後の未来の話。
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二つの影を繋いで空を見上げる日 |