6月1日(金)

やっぱみんな先輩の事王子様みたいって思うんだ。
私も前はそう思ってたなー。






***





見て見て!椎名先輩いるよ!」
「頭くしゃくしゃってされてるー!かわいー」
「いーなあ二年生。あたしも後一年早く生まれてればなぁ」
「はいそこの女子お喋りしないで手動かす!」
「はあい」


先生にぴしゃりと注意されれば残念そうな顔をしつつも窓に集まっていた女子たちはそれぞれのテーブルに戻って行く。
友達に呼ばれて駆け寄ったわたしも同じように自分の班に戻り、 勝手に抜けてごめんと男子に謝ってから途中で放置した洗い物の続きを始めた。


「うわめっちゃ良い匂いすんだけど」
「ねねっ一個は今食べるじゃん?残りは先輩んとこ持ってかない?あたし100均でこれ買って来たの!」
「先輩って、椎名先輩?」
「とーぜん!」
「んー…調理実習あったのうちのクラスだけじゃないし、もういっぱい貰ったんじゃない?」


そもそも受け取って貰えるかも怪しいと思う。
お店で売ってる物ならまだしも、知らない人の手作りはわたしだって怖いもん。…あ、でも実習で作ったなら平気かな。 泡立てた洗剤を洗い落としながら首を傾げれば、 透明の袋に英語が書かれただけのシンプルなラッピングを空いたスペースに広げた友達が笑顔のまま再び口を開いた。


「それなら事前に二年の先輩にリサーチ済み!椎名先輩バレンタインの時ちゃんと受け取ってたって!」
「うっそ!それ全部食べたのかな?」
「それはわかんないけどー、本命渡した人にも気持ちには応えられないけどそれでも良いならって言って 断らずに全部貰ってくれたんだって。まじ超かっこいいよね!王子様みたいっ!」
「口悪いけどやっぱ優しいんだ」
「だからこそのギャップじゃない?ってことで、どーする?渡す?」


焼き上がったマドレーヌをオーブンから取り出して、 その中から特に形の良い物を選別し始めた彼女たちに返す答えは決まっている。


「じゃあ渡しちゃおっか。…あ、でも三人で一個にしない?持って帰るのも大変だろうし」
「そっか。じゃあ決まりね!」


盛り上がっている雰囲気を壊すほど空気の読めない人間じゃない。
―それに、瞳を輝かせて頬を染める彼女たちはすごく可愛いのだ。
時々ちょっと常識に欠けるところは苦手だけどだからって全部が嫌いなわけじゃないし、 彼女たちだってわたしの嫌なところに目を瞑って一緒にいてくれる。友達ってきっとそんなもの。 だから二人が楽しいならわたしも楽しい。



##



「わー…やっぱ他にもいたか」


四限目の調理実習が終わってそのまま二年生の階に来れば、既に青いネクタイの女の子グループが幾つか、一つの教室に集まっていた。
先に調理実習を終えていた他のクラスの子たちはきっと、 移動距離と時間を計算した結果昼休みに渡すのがベストだと判断したんだろう。考えが重なった故のこれか。
…でも、中学の時もかっこいいと評判の人はいたけどバレンタインだってこんなにはならなかった気がする。 学校の雰囲気によっても違うのかな? 元々イベントに力を注ぐ校風だって聞いてるし、そういうのの影響で積極的になりやすいのかも。

出入り口が一つ塞がれた光景に何とも言えない感想を脳内で述べながらぼんやりしていれば、「行くよ!」。 肩に力の入った様子の友達がわたしの腕に彼女の熱い腕を絡ませた。
あそこに飛び込むのはちょっとやだけど、ここまで来たんだし腹を括るしかないか。…よし、出陣だ!


「ここじゃ迷惑だから廊下出て」


―けれど、タイミング良く凛とした声が通って、踏み出した足は再び床に縫い止められる。


「先輩出て来るみたい!これなら渡せるかもっ!」


嬉しそうに赤い頬を緩ませた友達に腕を引かれるままぞろぞろと廊下に溢れた女子集団の隅っこにそっと加わると、 一番最後に教室から出て来た椎名先輩がちらりと全員を見回して口を開いた。


「ぼくにあげようって気持ちは嬉しいけど、何だっけ、マドレーヌ? 嫌いじゃないけど大好物でもないし流石に全部をぼく一人じゃ処理しきれない。太っちゃうしね。 でもま、折角昼休み削ってまで来てくれたんだし、他のやつらに分けても良いってんならありがたく頂くけど?」


そう言ってほんの少し首を傾けた彼の表情はどこか呆れ気味だし並べた言葉だって上からなのに、 受け取ってもらえるという事実だけで辺りに黄色い歓声が沸く。
更には一人一人から順番に渡されるマドレーヌを両手で抱えながらの、「お前らそんなにぼくを太らせたかったわけ?」。 呆れを存分に孕んだ発言にだって、やっぱり楽しそうな声が弾むのだ。


「先輩、これあたしたち三人からです!」
「ありがと。上置いてくれる?」


どうやらわたしたちが一番最後だったようで、少しでも動いたら崩壊しそうなマドレーヌの山に 友達がちょこんとお供えをすると、先輩はちらっと視線を走らせてこれで終わりなのを確認してから首だけで振り返って、 開いていた窓からクラスメートに声を掛ける。


「誰かでかい紙袋とか持ってない?」


マドレーヌプラス可愛らしいラッピングはとても嵩張るのだと誰が見てもわかるので、 先輩の意図を汲み取ったクラスの人たちが互いに声を掛け合うも一つに纏められるサイズは見つからなかったらしく、 ならば幾つかの袋に分けようと動けない先輩の代わりにマドレーヌを一つずつ丁寧に紙袋に詰めてくれた。

そうして漸く自由になった腕を下ろした椎名先輩が教室に戻ろうとした時、「翼くんだあ」。 廊下に響いた名を無視できないと判断したのか、彼は静かに息を落として足を揃えると駆け寄って来る姿をその大きな瞳に捉える。


「一年生めっちゃいるねぇ。どーしたの?」
「調理実習があったみたいで」
「そうなんだぁ。でもこんなに食べれなくない?一年生もさあ、もうちょっと考えなよねー」


先輩が教室に入るまで。と、残っていた女子が多かったのが運の尽き。
三年生からの鋭い視線をダイレクトに浴びてしまった女の子はビクッと肩を揺らして小さくなってしまった。 わかる、わかるよその気持ち。派手な先輩に目を付けられたくないよねこわいよね。


「みんなで分けるんで平気ですよ」
「あっそうなの?じゃあうちらもちょっと貰ったげよーか?」
「ありがとうございます。でも、欲しがってる男子がいっぱいいるんで」


にっこり笑って告げた椎名先輩に三年生たちもそっかと笑って頷いたので この隙に立ち去ろうと一年女子の思考が一致しただろうその時、


「え?何これラップ?」


窓の向こうに居る二年生の手元を覗き込んで丁度目に入ったのがそれだったのか目敏く見つけたのかは知らないが、 紙袋からラップに包まれたマドレーヌを抜き取った彼女はそれを一緒にいる友達に見せると、 これ以上面白い物はないとばかりに鼻で笑ったのだ。

どんだけ見た目が良くても中身があれだったらまじ無理だわ。

嫌な笑い方をする綺麗な三年生に内心ドン引きをするわたしに、友達がそっと腕を引いて耳打ちをする。


「ねえ、あれあの子のみたい。…可哀想、泣いちゃうかも」


視線で示された先を追えば、スカート丈の長い大人しそうな女の子が顔を真っ赤にして目を泳がせていた。 いっそ逃げ出したいのに動けないんだろうな。 可哀想だと思ったところで、三年生に盾突く勇気はわたしにも周りの一年生にもないんだけれど……ごめんね。


「あ、美味い」


見ていられなくて俯いたわたしの耳によく透る声が響いたので驚いて顔を上げれば、 いつの間に三年生から奪ったのかラップを剥がしてマドレーヌを一口齧った後の椎名先輩という光景が 目に飛び込んできたので驚きのあまり零れそうになった声を慌てて飲み込む。
そのまま呆然とした顔の三年生を放置してマドレーヌをぺろりと完食した椎名先輩は、 ゴチソウサマと呟くとくしゃりとラップを丸めた。


「ぼく個人の意見としては、中身に自信があるなら外見ばっか無駄に派手にする必要はないと思いますよ? ……あれ?先輩、なんか右の睫毛ごそっと外れそうですけど?」


あの綺麗な顔を少しだけ近付けてそんなことを言われたらある意味拷問よりキツイと思う。
指摘された内容を理解した途端ばっと目を押さえた三年生は、そのまま短いあいさつを残し友達を引き連れて走って行った。 きっとトイレに駆け込むのだろう。

まさに嵐が去った後に残されたわたしたちは、揃ってぽかんと間抜け面を披露するばかり。


「誰がくれたのかわかんないけど、美味しかったよ。ありがとう」


頭の良い彼が泣きそうな子に気づいてないわけないのに敢えてそう言ったのは、たぶん、 恥ずかしい思いをしたその子に気を遣ったんだろうけれど、


「おいおい椎名ー。さっきの言い方じゃラッピングした子は味に自信ないみたいに聞こえるぞー?」
「は?何言ってんのだったら持って来るわけないじゃん」


会話が聞こえていたのか大きな紙袋を持ってこっちに歩いて来たヤマト先輩の言葉に 椎名先輩がバカじゃないのと眉根を寄せたのを見て何人かの女の子が安堵の息を落としたが、 気づいているのかいないのか、椎名先輩の意識はヤマト先輩に向いているようで、何故か訝しげな視線を送っている。


「お前何持ってんの?」
「マドレーヌ。椎名の分もあるぜ?」
「おいまた椎名かよー!差別反対!俺らにも愛の手を…!」
「落ち着け諸君、椎名以外の宛先もあるぞ。…はいはいそう慌てんなってちゃんと順番に配っから」


言いながら笑って教室に入って行くヤマト先輩に続いて、 一つ息を零した椎名先輩も教室へと足を進める―途中で振り返り、


「お前らも早く戻んないとお昼食べ損ねるぜ?」


やっぱりちょっと呆れ気味で告げればそのまま賑やかな輪に吸い込まれて行った。
黄色い歓声?沸きましたけど。





***





今日のはどっちかっていうと、悪者を倒す……悪役?