4/13(Fri)
「やあやあ椎名翼くん。今日はジェイソンがやって来ると恐れられている十三日の金曜日だけれど、ご機嫌如何かな?」 それは突然俺の目の前に現れた。 「うんうんそうだよね毎日清々しいお天気に恵まれて学校までの道を歩くのも気持ちが良いよね。 ところで小春日和って春ではなく冬の季語だって知っていた?」 返答を求めない疑問符を放ち効果音が響いてきそうな笑顔を顔中に貼り付けた女は、「と言うことではいこれどうぞ」。 今まさに上履きを取ろうとして固まった俺の手を通り越して下駄箱の個人に割り当てられたスペースに侵入すると、 すとん、と紙の束を落とした。……ちょっと待て意味が解らない。 「噂の椎名くんに熱の籠った目で見つめてもらえるなんて光栄だなー」 「突然現れた不審者を見る目をよくもまあそこまでオブラートに包めるよね」 「あははっ!気持ちの良い切り返しだ。打てば響くとは聞いていたけれど想像以上だよ」 「そっちは打たなくても勝手に響くみたいだけど」 温度差の激しい言葉の応酬に登校してきた生徒の視線が突き刺さるがどうでも良い。 今はまず目の前のこの女が何なのかはっきりさせるのが先だ。 「ところで下駄箱ってゴミ箱じゃなくて靴を入れる場所だって知ってた?」 少し前に聞いた言葉並びを単語だけ組み替えて吐き出せば女は虚を衝かれたように笑顔を仕舞うも、 瞬きを終える頃にはまたしてもお手本のような笑みを広げて喉から高い声を震わせる。 「ふ、ははっ!これはこれはご丁寧にご教授ありがとう。でも良く見てよ。それはゴミじゃなくて手紙だ。 その上恋文ときたら、下駄箱に入るのも道理だろう?」 可笑しくて堪らないと目じりに滲んだ涙を指先で拭って、下駄箱に収まった紙の束を指す。 酷く馬鹿にされた気分だ。腹の底で沸々と煮込まれて行く感情を表に出さぬよう気を付けながら 手紙の下敷きとなった上履きを抜き取り、次から次へと落ちてくる星屑のような笑い声を意識の外へ押しやりながら靴を履き替える。 こんな不審者相手にするだけ無駄だ。 進路を塞ぐように立っていた女の横を通り抜けようとした時、ぱしりと手首を掴まれて仕方がなく足を止めた。 「人の心を無下にするのは感心しないよ」 「常識を逸脱している人間に説教なんてされたくないね。そもそも直接渡すくらいなら口で言えば?」 「残念ながら彼女たちは揃いも揃ってはにかみ屋さんでね。致し方なく私が代理で来たんだ」 「……は?」 「いやあ、この役に就いてもう三年目になるけれど一度に沢山のお嬢さんから頼まれたのは初めてで流石に驚いたよ」 本当に意味が解らない。 台本でも読むようにすらすらと台詞を並べる女に未だ掴まれたままだった手首を軽く振ればすぐに拘束は解け、 にんまりとチェシャネコのように口角を上げた女は更に言葉を放る。 「きっと先日君が公衆の面前でバスケ部の美人マネージャーを手酷く振ったのが効いたんだろうね。 辛辣ではあったけれどあれは碌に君の話も聞かず強引にバスケ部への勧誘を続けた彼女にも非はあったから 仕方がないと思っている人も多いよ。ただ、早くも君に淡い恋心を抱いていたお嬢さん方の勇気を削ぐには十分過ぎた。 然れども恋心というものはそう簡単に消滅してはくれなくてね、どうにか想いを伝えたいと携帯電話が普及した このご時世に彼女たちは筆を取ったわけだ。どうだい、奥ゆかしいとは思わない?」 一体いつから下駄箱は演説会場になったんだ。 当初は様子を窺うように控え目な視線を向けていた通行人たちも今では足を止めてこの女を見つめている。 ぽかんと口を開けている者、意味が解らないと眉を顰めている者、心打たれたように何度も頷く者と様々だ。 いい加減こんな茶番に付き合っていられない。煮込まれ過ぎた感情はいよいよ我慢ならぬと吹き零れる。 「つまり人伝に届けられた顔も知らない人間の手紙全てに目を通して返事を書くなり直接伝えに行くなりしろって? 馬鹿言うなよ。こっちは一人なんだ。フェアじゃない。第一ぼくはそんなにお優しい人間じゃないから 一人一人に返事をするような手間は掛けない。それなら最初から誰からも受け取らないのが親切ってもんだろ」 過去にも手紙を渡されたことはあるけど一度も受け取っていないし、 下駄箱や鞄に入っていた時は流石に持ち帰りはしたけれど目を通したことは一度もない。 冷たい人間だということくらいわかっている。 けれど、想いは重いのだ。全て受け入れていたら此方が潰れてしまう。 「理解したならあれ持って帰って。迷惑だから二度と代理なんて引き受けんな」 ざわざわと周囲が囁き出す。声潜めなくてもわかってるよ、どうせ俺への悪口だろ。 長年この性格やってんだから集団から弾かれた経験はあるし険のある視線も陰口も慣れている。 それでも不特定多数に猫を被るより少数に受け入れられる生活の方が楽だと学んだ上でのこれなのだ。 サッカーさえ出来ればそれで良い。 弁明するつもりはないが、好意を寄せられること自体が迷惑なわけでは決してない。 告白の呼び出しには先約がなければ応じたし、こんな俺を好きになってくれる人がいるというだけで支えになる。 ただ、俺を碌に知りもせずに外見や付属品だけで寄って来て内面を知った途端理想と違うとバツを付ける人間はどうやっても好きにはなれない。だってそうだろ? 俺だって感情のある人間だ。好意にも悪意にも揺れてしまう。心を痛めるのは振られた側だけじゃないんだよ。 他人を容赦なく傷付けるこの口で、わかってくれ、なんて口が裂けても言えやしない。 だからぼくは、寄せられる好意も悪意も全部丸めてぐしゃぐしゃにして置いてきたのだ。 「そういうことだから」 俯いて震える女から視線を外して今度こそ立ち去ろうとしたが、「っく、ふ、ははっ!」。 場の空気も読まずに吹き出た笑い声に思わず歩くのを忘れた。 「っひゃー!話を聞いた時はどんな冷血漢かと思ったけど、なんだ、優しいじゃん」 「……、は?」 「だって君、つまりは一人一人に返事が出来ないから受け取れないってことでしょ? 相手の気持ちを汲んであげられないことを憂いているんだから十分優しいじゃない」 「…」 「確かに伝えたからには返事が欲しいと思ってしまうのも世の常だ。私たちは強欲だもの。 けれどその恋文をしたためた彼女たちは違うんだ。受け取ってくれたという事実だけで十分なんだよ。 その後は捨てるなり燃やすなり切り刻むなり君の好きにして良い。お勧めはしないけどね」 「……どういうこと」 「ああごめんね私の説明不足だった謝るよ。優秀だと噂される君ならば少し前に私が『この役に就いて三年目』だと 言ったことを覚えていると思うけれど、私はこの学校で郵便屋の役目をしているんだ。呼び名は様々、 便利屋運び屋伝書鳩パシリ、中には飛脚なんて古風なものもある。私は新聞部に所属していてね? …ああ私の個人情報なんて興味はないと思うけれど郵便屋に関係してることなんだ大人しく聞いてくれ」 続く説明によると、この学校の新聞部の歴史は長く、長い歴史の中で俊足を自慢にしていた部員が 校内を走り回って号外を配る内に、行く先々でついでに届け物をと頼まれるようになった。 依頼人は教師や生徒、急ぎの伝言からちょっとしたお菓子のお裾分けなど内容は様々。 俊足を自慢にしていた部員は三年間の学校生活を経て無事に卒業したが、その部員が在籍している間に広まった 郵便屋が新聞部の仕事の内だと認識されてしまいそれ以来新聞部の伝統として受け継がれているそうだ。 引き継ぎは役に就いていた生徒が卒業の年に行われるが細かな時期は本人の自由で、その時一番足の速かった者が後任に選ばれるらしい。 「歴代の運び人も数々の恋文配達を頼まれてね、その際にいつまで経っても返事がないとクレームも多かったそうだ。 そこで先輩は考えた!恋文配達の依頼に条件を付けようと!」 「…つまりそれが受け取るだけで良いってこと?」 「その通り!恋文配達を依頼する人間は返事を求めてはならない。返事が欲しいならご自分でってね」 身振り手振りを交えた説明は妙に芝居掛かっていたし合間に彼女の個人的見解も混ざってはいたが、 人に話を聞かせることが上手いのか、途中で飽きることはなかった。 あと数分で予鈴が鳴るっていうのに下駄箱で足を止めている生徒が多いのは十中八九彼女の所為だろう。 遅刻ギリギリ組が下駄箱の人口密度に首を傾げていた程だ。 「さて、長々しい説明に付き合ってくれてありがとう。これで君は心置きなくお嬢さん方の心を受け取れるわけだ。 いやあ、こんなにモテるなんて羨ましくって女の私でさえ嫉妬の鬼となりそうだよ!」 「……」 全くそんなことは思ってなさそうに軽やかな笑顔を浮かべて下駄箱を指差した女は、 尚も動かない俺の肩をぽんと叩くと、 「近頃は男だって陰湿だよ?」 そっと耳元で囁いた。 ……にゃろう、脅迫か。意味深に語尾を上げ効果音が響いてきそうな笑顔を顔中に貼り付けた女は、 くるりとギャラリーへと顔を向けて良く通る声を放つ。 「ところで君たち、我が校は予鈴までに教室に居なければ大抵が遅刻扱いになることは知っていた?」 一年の教室は最上階。ぎょっとしたように駆け出した生徒の波が引いても、俺も女も下駄箱から動かない。 「君も急がないと遅刻だよ?」 「うちの担任は本鈴までに間に合えば遅刻にはしないらしいから」 「…成程、君のクラスは熊さんだったか。良い担任に当たったね」 「そっちこそ急がなくて良いわけ?」 「三年の階は可愛い一年生と違ってすぐだから。それに私には自慢の足がある」 「あっそ」 「とは言え、君がこのまま手紙を受け取らないでいると流石に困ってしまうよ。時間は止まってはくれないからね」 「…あんたってその喋り方が癖なの?」 「数少ないアイデンティティーの一つなんだ」 駄目だこいつまともに相手すると疲れる。とっくに気付いてはいたけれど。 隠しもせずに大きく溜息を吐いて下駄箱から手紙を取り出し、そのまま鞄に仕舞う一連の流れを満足そうに見た女は、 これまた酷く満足そうに笑顔を広げた。 「ありがとう。お嬢さん方も喜ぶよ」 「どういたしまして」 「君とはこれからも縁がありそうだ。困ったことがあったら新聞部においで。美味しいお菓子とコーヒーを出してあげよう」 「喫茶店かよ」 「素敵だろう?大人な君はブラック、…いや、ミルク少々、角砂糖二つってところかな」 鳴り響いた予鈴に女はわざとらしく肩を竦めると、俺に一度だけ目配せをして唇で弧を描きあっという間に自慢の足で駆けて行く。 …成程、確かに速い。でも、 「変な女」 郵便屋だと名乗った女に抱く感情はこの一言で事足りる。
--------------------------------------------
ミルク少々、角砂糖2つ、(喫茶店の日) |