3月2日(金)

今日で学年末テスト終わり!
あとちょっとで春休みかー。色々あったけど、楽しかったな。






***





彼を初めて見たのは、人生初めてのお受験戦争で勝ち抜いた小学校に入学してすぐだった。

クラスの女子の中で一番背が低かったわたしは当たり前だけど背の順では一番前で、 全校集会の時に一年の端っこのクラスのわたしの隣に並んでいたのが、 二年の端っこのクラスの男子の中で一番背が低かった、椎名先輩。

今よりもっと可愛くて、あの頃は王子様というよりお姫様みたいだったな。

初恋は近所のお兄さんだったから違うけど、たぶん、一目惚れだったんだと思う。
偉い先生たちの難しい話は全然聞いてなくて、ずっと、隣の横顔を盗み見てばかりいたから。

だけど、数ヶ月も経てば背が伸びて、わたしは一番前じゃなくなってしまったし、 学年が上がれば隣の列に並ぶことさえなくなってしまい、幼いわたしの記憶から先輩が薄れるのも、すぐだった。


先輩のことを思い出したのは、内部進学した中学校に入学して、すぐ。
一つ上の学年にいる王子様は一年の間でも有名で、猫みたいな大きな目と赤茶色の髪を見て、あの時の人だって思い出したの。

勉強も運動も得意で、誰にでも優しい“王子様”に恋をした女の子はわたし以外にも沢山いて、 部活は勿論委員会だって違ったし、わたしは目立つグループの子じゃなかったから、話し掛けに行く勇気もなかった。 ……ただ見てるだけの恋をしていたわたしがこの想いを伝えようと思ったのは、 職員室で偶然、先輩が転校してしまうことを知ったから。

知って欲しいと思った。きっともう会えないから、伝えたいと思った。
―だけど、先輩の教室に行く勇気がなくて、下駄箱にこっそり手紙を入れたんだ。



「“放課後屋上に来てください”って、どっちの意味の呼び出しかちょっと悩むよね」
「先輩はどっちが多かったんですか?」
「さあ?手紙の呼び出しに応じたことないし」


中学の時は屋上は立ち入り禁止だったから、呼び出し場所は屋上の前だったっけ。
高校も屋上は立ち入り禁止の筈なんだけど、「誰にも邪魔されない方が良いっしょ?」。 とある人物に電話で相談したところ後日自宅ポストに魔法の鍵が投函されていて今に至る。あの人ほんとに何者なんだろう。

先輩に一種の宣戦布告をしてから今日まで、只管先輩を避けてきた。
元々学年が違うから同じ学校に通っていても顔を合わせないのなんて結構簡単で、 ただ、先輩は時々バイト先に可愛い彼女さんを迎えに来ることがあるので、泣く泣く、ほんっとーに泣く泣く、 大好きな他校の先輩とシフトが被らないように過ごした数ヶ月……これは結構キツかったなー。
だけど残り数ヶ月だろうが三年生に目を付けられるのは全力回避したかったので、椎名先輩と話すのはこのタイミングだと決めていたのだ。

呼び出すのなら卒業式が終わった後、学年末テストが終わったばかりの今だと、決めていた。


「先輩、テストどうでした?」
「別に。可もなく不可もなくってとこ」
「そう言って毎回上位なのに、謙遜ですか?」
「…誰に聞いたの?」
「ヤマト先輩が教えてくれました」


意識してにっこり笑えば、先輩はひっそりと眉を寄せる。
そんな顔も整っているんだから、なんて嫌味な人だろう。……なんて、ただの僻みだけど。


「ま、今回のテストよりお前に出された問題の方が難題ではあったけど」


一つ息を落として長い睫毛を伏せた彼は、わたしが瞬きをする間に、もう、射抜くような視線でこっちを見ていた。
じわり、滲む感情の色はわからない。


「そんなに難しい問題出したつもりはないんですけど」
「だって、問題用紙が見つからないんだから答えようがないだろ?」
「、え?」
「…無かったよ。全部探したけど、何度探しても、佐川からの手紙は一通もなかった」
「……、…捨てたんですか?」
「人聞きの悪い事言わないでくれる?お前が直接渡したんだったら受け取ってないけど、 下駄箱とかに入れてたんだったら読んでないだけで持ち帰ってるよ」


――あぁ、やっぱり。
玲さんと話した時に感じた違和感。彼女が言っていた“辻褄”とはきっとこれだ。

くしゃり、握り締めたカーディガンに皺が寄る。


「それに忘れてるみたいだから言っておくけど、“いくらなんでも“鏡見て出直せ”はないんじゃない?”」
「、それ…」
「その様子だと覚えてたみたいだね。流石のぼくも自分の発言を棚に上げてまで説教染みた台詞は吐かないから。 …ま、口の悪さは自覚してるしお前がそう思うのも仕方ないと思うけど」
「……」
「で、質問があるんだけど、まさか答えたくないなんて言わないよな?」


にっこりと可愛らしく笑った椎名先輩に、口許がひくりと痙攣した。うわ、なにこれデジャヴ?
―だけど、最初に話を持ち出したのはわたしだから、ここで逃げるわけにはいかない。

ふう、一つ息を落として、ゆっくりと頷く。


「中学の時にお前がぼくに告白してくれて、ぼくはそれに対して“鏡見て出直せ”って答えたってこと?」
「……はい。でも、わたし…先輩の下駄箱に手紙入れたんです。直接呼びに行く勇気なかったから…」
「ぼくはあの頃その手の類の手紙は一切目を通してない。自惚れてるって思ってくれて良いけど 女子からの手紙イコール告白だと思ってたし、麻城では優等生で通してたから告白以外の呼び出しなんてなかったし」
「…みたい、ですね。玲さんもそんなこと言ってました」
「もう一つ質問。―それ、誰に言われたの?」


真っ直ぐわたしを見つめる彼は、どう見たって嘘を吐いているようには思えない。
そもそも玲さんだって言ってたじゃないか。辻褄が合わないって。 告白するつもりで呼び出した子たちは待ちぼうけだったんじゃないかって。


「……先輩と同じクラスの人、だと思います。先輩に頼まれたって言ってました」
「読んでないものの返事なんて頼めないし、第一告白の返事を他人にさせるほど腐ってはないぜ?」
「です、よねー。っはは、は…」
「そうやって笑って誤魔化すのも大概にしろよ」
「ッ、」


ひやりとした温度に息を呑むわたしに、はああ、先輩は大きく溜息を吐いた。
…あ、その顔知ってる。


「傷付いたんだろ?俺じゃないけど、でも俺にそう言われて、お前傷付いたんだろ。 …好きなやつにそんなこと言われたら俺だって傷付くし、泣くかも」
「え、先輩泣くんですか?」
「……お前、俺のこと血も涙もない人間だとでも思ってんの?」
「そんなことないです!」
「ふうん?…ま、良いけど」


眉を寄せたまま口の端で笑った椎名先輩は、―――え、


「、え?何してんですか?止めてくださいっ!」


赤茶色の髪がさらりと流れ、いつもなら見えない旋毛がはっきりと見えるのは、


「悪かった」


先輩が、ゆっくりと頭を下げたから。


「っ、んで…なんで先輩がそんなことするんですか?だってわたしの勘違いだったのに…! 全部わたしが、最初から手紙なんか頼らないで直接伝えに行ってれば良かったのにっ。 …、……信じられなかったのは、わたしで、好きになった人なのに、ずっと見てたのに、…し、な先輩が優しい人だって、知ってたのにッ……、」


じわり、じわり、
滲んで溢れて、こぼれて、もう止まらない。

今となっては確かめる事はできないけれど、きっと、わたしが手紙を入れる場所を間違えたとか、 あの人が勝手に先輩の下駄箱から手紙を抜き取ったとか、わかんないけど、でも、そういうことで、

あの日からずっと、鼓膜にこびり付いて剥がれなかった呪いの言葉は、椎名先輩の言葉では、なくて。


「、ごめんなさい。ごめ、なさい……!」


一番ひどいのは、わたしだったのに。
高校に入って偶然先輩と再会して、もしかしたらって思うこと、何度もあったのに。
そんな筈ないって、この人は酷い人なんだって、最初から決め付けて塗り潰したのは、わたし。


「ごめんなさい、ごめんなさい、」


ぐしゃぐしゃの顔を手で覆いながらバカの一つ覚えみたいに同じ言葉を繰り返すわたしに、ふわり、柔らかな温度。 くしゃくしゃとぎこちなく動くそれに驚いて、思わず言葉が途切れる。


「お前に泣かれると困るんだよね」
「、んで、ですか…?」
のお気に入りだから」
「…先輩、彼女大好きですよ、った!」
「うわ、良い音」
「なんでデコピンしたんですかー」
「その大好きな彼女が会う度に誰かさんとシフトが全然被らないって話ばっかするから、八つ当たり?」
「…わたしにヤキモチ妬かないでくださいよ」


じくじくと痛む額を押さえながら恨みがましい視線を送ってみても、先輩はちっとも気にする素振りもなく、 楽しそうに口角を持ち上げるばかり。

…王子様だと思ってた頃より、今の方がすきだなあ。


「先輩、覚悟っ!」
「は、…っわ、おい何すんだよ!」
「鼻水付けちゃいましたー」
「…お前、……はあ。もういい、疲れた」


ぎゅっと飛び付いたわたしの背中に回る温度はなかったけれど、それでいい。
だってこの人は、わたしの王子様ではないから。――でも、


「椎名先輩、大好きでした」


数年越しの告白の返事は、たった五文字と、柔らかな笑顔でした。






王子様観察日記
(先輩に椎名先輩とハグしたって言っちゃおっかなー。)(ぶん殴るよ?)





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ざまあみろ!