1/12(Thu)





「椎名くんって好きな人居るの?」



たった一言。震えてしまうのを必死に抑えたその声は、確かにぼくの琴線に触れた。



「…居るよ。ずっと前から、片想いなんだ」



今ぼくは上手く笑えているだろうか。
目の前の彼女はぎゅっと唇を噛んで、開いて、閉じて、ゆっくりと口の端を持ち上げた。



「そっか…ふふ、あースッキリした!はぐらかさないでくれてありがとう。すぐに気持ち切り替えるのは難しくて 余所余所しい態度取っちゃうかもしれないけど椎名くんは何にも悪くないから気にしないでね。 いや、気にしてくれても嬉しいけど!」
「どっちだよ」
「乙女心は複雑なんですーう。でもま、一日でも早く清く正しいクラスメートに戻れるよう頑張ります!」
「…そう」
「だから椎名くんも、一日でも早く片想いが両想いになれるように頑張ってね。椎名くんがずっと片想いしてるくらいだし その人すっごい美人なんだろうなー。なんて、これ以上は怒られる前にお口チャックしまーす。 …そだ!珍しくこんな早く学校来たから授業の予習とかしちゃおっかな。あ、もしかして仁義なき戦いを毎朝六時くらいに繰り広げれば成績上がるかも…?ってことで、先行くね!」



くるくると表情を変えた彼女は最後に呼び出しに応じてくれたことへの感謝を述べて振り向かずに歩き去った。

告白を断った側の礼儀として気付かぬ振りを通したけれど、赤くなった目も、時折震える唇も、隠し通したつもりなんだろうか。 情に訴えないことが彼女のプライドだったんだろうか。



「随分と情けない顔をしているね」



落ちて来た声に顔を上げる。 揺れるカーテンをふわりと避けて、チェシャネコは唇に緩やかな弧を描いて窓枠に頬杖を付いた。



「そっちは随分と楽しそうだけど、何か面白いことでもあった?」
「いいや、この顔は元からなんだ。お気に召さないのなら謝るよ」
「別に。ただ、あんたがこんな悪趣味な人間だとは思わなかった」



俺を呼び出したクラスメートが郵便屋を介して場所と時間を伝えたとは言え、盗み聞きなんて悪趣味にも程がある。

両手をぎゅっと握り締め深く深く息を吐く。こうでもしないと今にも毒づいてしまいそうだ。
―思い浮かぶ限りの毒を撒き散らせば気が紛れるとわかっているからこそ、言いたくない。



「君が彼女にならと告げた想いを聞いてしまったことは心から申し訳なく思ってる。ごめん。けれど一つ言い訳をさせて欲しい」
「…何?」
「彼女がね、フォローして欲しいと言ったんだ。『椎名くんは優しい人だから、きっと傷付く』―と。 自分は椎名くんのいつだって堂々としている様が好きだから、自分の所為で曇らせたくはないのだと」
「…、何それ。普通傷付くのは振られた側だろ。何でぼくが一々傷付かなきゃいけないの」
「君の内面を知る人は君の優しさも見えているんだよ。それに私だって、君が手厳しい言動に反して 相手の体面を慮れる人だと言うのは知っているもの。私に対して怒りを覚えたのは彼女の真っ直ぐな想いを踏み躙られたと思ったからだろう?」
「…頼まれてたんだろ」
「ほら、やっぱり優しい。…いや、甘いかな?そして残酷だ。君のその甘さはね、真綿で首を締めているようなものだよ」
「、何が言いたいの?」
「君は彼女を振ったんだ。それなのにどうして、そんな情けない顔をしているの?」



にっこりと三日月を浮かべる彼女に、ゆっくりと芯が冷える。



「ぼくが、ぼくの中身を見て好きになってくれた人を振っても何も感じない程、冷たい人間だとでも思った?」



すっと細めた視界の先には、薄っぺらい教科書通りの笑顔。
対する俺は鏡なんか見なくても笑顔が歪んだことくらいわかってる。

つまり彼女は、振る側は常に悪役に徹しろと言いたいのか。―冗談じゃない! 俺にだって心はある。自分勝手かもしれないけど、切りたくない縁だってある。 手酷く振られた方が諦めは付くし言葉は悪いが悲劇のヒロインにだってなれるって知ってるけど、でも、 そうしたらもう戻れないじゃないか。一度振った振られたの関係になったらそのままずっと関わらずに過ごせとでも言うの? それまでの関係は綺麗さっぱり忘れろと?

罅割れた恋はもう二度と他の形になることすら許されないのか。



「あんたの目に俺がどう映ってるのかなんて知らないけど、俺はそんなに強くない」



…嗚呼、どうして。

どこかで期待していた。彼女には俺の弱さも狡さも見えているのだと。
いつだって人より上手でいたくて、だけど偶には寄り掛かりたくて、 中途半端な俺を見透かして笑う彼女といつまでも三文小説通りの掛け合い話をしていたかった。 ―それなのに、



「ふ、ははっ!良い台詞だなあ。シチュエーションと人を選ぶけれど今の君ならぴったりだ。 流石椎名翼くん、格好良いねえ」
「…だから、さっきから何が言いたいわけ?」
「さて、何だろうね?」
「はっきり言えよ」



ぐらりと足場から崩れて行くような錯覚。
寒さと怒りと緊張と恐怖、全部が綯い交ぜになって全身が震える。



「それじゃあ言わせてもらうけど、君が一途にずっと想い続けている人と言うのは本当に実在するのかな?」
「、は?」
「私の知る『椎名翼』と言う人はとても頭の良い人だ。一見冷たく見えるがその実世話焼きで、 一度懐に入れた者に対しては深い情を持つ。…けれど、彼の懐に入るのはとても難しい。 何てったって中心に辿り着くまでの扉が一つや二つじゃないからね、少し近付けたと思ってもまだまだ先がある。 そして彼は自分の立ち位置を十二分に理解しているだろう?寄せられる好意から目を背けつつも見えていないわけじゃない。 そんな彼が、―君が、友人として好感を抱いているとは言え自分に好意を寄せている人間に『好きな人が居る』と 正直に打ち明けるかい?片想いの相手が特定されて騒ぎ立てられたり、嫉妬の標的にされる可能性もあるのに?」
「…、……それは相手が特定出来る範囲に居た場合だろ」



俺がずっと想い続けている彼女は俺よりずっと大人で、俺の想いが周囲に知れたところで高が高校生に何が出来る?
きつく睨み付けても貼り付いた笑顔は剥がれず、弓は益々引かれるばかり。



「確かに一理あるね。だけど君はとても臆病だから、相手の迷惑に成り得ることはしない。…失礼、思慮深いと言った方が良いかな?」



――嗚呼、どうして。
どうしてこんなにも惨めな気持ちになるんだろう。 今すぐこの場から逃げ出してしまいたいのに、ちっぽけなプライドが目を逸らすことすら許さない。

今にも折れそうな牙で噛み付いたって、先は見えてるのに。



「随分と好き勝手言ってくれてるけどあんた俺のなに知ってんだよ。顔?名前?誕生日? なあ、まさかそれ全部繋げたら俺になるとでも思ってんの?――なるわけねえだろ」



顔を歪めて、鼻先で笑って、精一杯の虚勢を張る。
だって、そうでもしていないと、もう――



「好き勝手しているのは君だろう」



色も温度もない声を放った彼女は、それでも尚、唇だけで笑顔を象る。



「君が自分の感情から目を逸らし続けて全てを欺くのは勝手だけど、それならもっと上手に騙してよ。透けてるんだよ」
「、んで…何で関係ない人間に此処まで言われなきゃなんねえんだよ」
「関係ない?…、ははっ!あははは!」



突如高らかな声を響かせた彼女は何がそんなに楽しいのか一頻り笑い、 やがて目じりに滲んだ涙を拭うとがらりと態度を変えて柔らかく微笑んだ。



「そうだね、君が何をしようが私には関係ない。全く以てその通りだ。口が過ぎたことは謝ろう。すまなかったね。 だけど最後に一つ言わせておくれ」



にっこりと笑うチェシャネコに脳裏で赤いランプが激しく点滅を繰り返す。
嫌だ、聞きたくない…!耳を塞ぎたい衝動をちっぽけなプライドが邪魔をする。



「ねえ、あの子に誰を重ねたの?」
「ッ、」



俺が好きなのは彼女で、ずっとそれが当たり前だったのに、いつから自分に言い聞かせるようになったんだっけ。 さっき、好きな人と言われて浮かんだのは誰の顔だった? …嫌だ、気付きたくない。だって、



「認めたくないのなら、終わりをあげるのも一つの優しさだよ」



想いを積み重ねて今の俺があるのなら、その想いが変わってしまったら、一体ぼくは誰だと言うの?








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仁義なき戦い、毎朝6時(F監督生誕日)