ままごとみたいな恋だった?



始まりがいつだったのか、キッカケは何だったのか、考えても思い出せなくて。 …たぶん、磁石みたいに当たり前に、わたしは彼に惹き寄せられたんだと思う。
だけど皮肉なことに、これが恋だと気付いた時には、もう全部が終わっていた。

郭くんと彼女が付き合っていると言う噂はあっという間に広がり、クラスメイトであるわたしの耳にも避けようがなく届いたのだ。

最初はわたしも周りと同じように、二人ならお似合いだな。と、純粋に羨ましく思ったのだけど、 少しずつ胸の中にもやもやが広がって、ある日突然、ちくりと尖った金平糖になって目から転がり落ちたのだからあらびっくり。
びっくりしたけどそれだけで、彼女を嫌いになることなんてなかったし、 郭くんを好きだと気付けただけで妙な満足感を抱いてしまったから、とても幼稚な恋だったんだと思う。

そんなこんなでわたしの恋は自覚する前に終わりを迎えていたのだけれど、



「知ってる?英士くんってちゃんに名前呼ばれるとちょっと面白い顔するんだよ」


どうしてこんなことになったんだろう。
わたしはただ、彼女に頼まれて放課後花壇の水やりをしに来ただけなのに。


「…それ、どういう意味?」


少しだけ開いた窓の向こうから響いた声が誰のものかなんて考えるまでもない。
だってわたしは、心地良いその響きが大好きなのだ。


「あ、やっぱ無自覚だったんだ」


そして、転がるような彼女の声も、響きは違えどこっそりわたしのお気に入り。

今日の日直は郭くんと別の子だったけど、いつも授業が終わるとすぐに帰ってしまう忙しい郭くんと 放課後の教室で二人きりになれる甘酸っぱいシチュエーションをゲットした日直の子が 当たり前のようにその権利を彼女に譲ったことは勿論わたしも知っている。 だからこそ、彼女の代わりにわたしが花壇の水やりをすることになったんだから。


「ッ、」


ぶるり、ポケットの中で震えた携帯に零れそうになった声を片手で塞いで押し戻しずるりとその場にしゃがみ込む。 バランスを崩して如雨露から飛び出した冷たい水が少し指に掛かったけどそんなことどうでも良い。 ばくばくと落ち着かない心臓を深呼吸で大人しくさせながら、そうっと、携帯を取り出した。


(…え、なんで?)


受信したのは一通のメール、送り主は窓の向こうの彼女。
そのまま隠れててね。可愛い顔文字が添えられた一文にわたしの頭の中に巨大な迷路が出来てしまった。

ほんの一瞬、目が合ったと思ったのは気の所為じゃなかったんだ。

水をいっぱいに入れた如雨露を持って花壇に来た時、不意に名前を呼ばれた気がして振り返った先、 ちょこっとだけ開いた窓の向こうに、お日さまみたいな彼女のぴかぴかな笑顔が咲いていた。
彼女は一瞬わたしに気付いたようにこっちを見て、そうして、目の前に座っている彼に向けてあの言葉を放ったのだ。 「知ってる?」―と、窓に背を向けている郭くんに。


「質問の答えになってないんだけど」
「こわいなー。英士くんただでさえ常に不機嫌そうな喋り方なんだから、そんな声出すと余計怖がられちゃうよ?」
「余計も何も余計なお世話。そもそもこの程度で今更俺を怖がるような繊細な作りじゃないくせに」
「ひどい!でも否定はしない」


いつもより少しだけ低い、棘のある響きにも彼女は臆せず楽しそうな声を奏でる。


「ほんと、性質が悪いよね」
「意地が悪い英士くんには言われたくありませーん」
「…」
「ごめんごめん、拗ねないでって。眉間の皺が消えなくなっちゃいますよー?」
「何その言い方。子供扱いしないでくれる?」
「実際わたしの方が半年以上お姉さんだもーん」


こんな郭くん、知らなかった。
わたしの知ってる郭くんはいつだって余裕があって、誰よりも大人びている。


(…やっぱり彼女の前では違うんだなあ。)


ちくりちくり、
胸の中いっぱいに金平糖が膨らんで、今にも溢れてしまいそう。

きっとばちがあたったんだ。
彼女にどんな意図があるかはわからないけど、恋人たちの内緒話を盗み聞きしたから。


「それで?さっきの、さんに呼ばれると俺が何?」
「英士くんが怖くて喋れませー…嘘です調子乗ってすみませんでした!」


言葉を遮るように低い声で名前を呼ばれて、彼女は慌てて謝罪を放つ。
郭くんのことを下の名前で呼ぶ女の子は彼女以外にもいるけれど、郭くんが下の名前で呼ぶ女の子は彼女しかいない。 ―知ってたけど、けど、


ちゃんに郭くんって呼ばれるとね、ちょっと…えーと、お腹痛い?みたいな顔するの」
「……何それ」
「頭痛いでも良いよ」
「今まさに俺は頭が痛いよ」
「ごめんねでもほら日本語って複雑だからっ!つまり、んーと、郭くんって呼ばれたくないのかなって思ったわけです」


あ、だめだ。
膨らんだ金平糖が胸を、喉を、体中を突き刺して今にも千切れてしまいそう。


「その顔はビンゴ?あたしも似たようなのあるから、もしかしてそうなのかなって気付いたの。だからほんとに偶然」


…そっか、わたし、名前を呼ばれるのも嫌なくらい郭くんに嫌われてたんだ。
全然気付かなかったなあ。郭くん優しいから、話し掛けたらちゃんと答えてくれてたし。

勝手に恋して、勝手に傷付いて、わたしってほんとばか。

ぐっと唇を噛んで目を瞑る。引っ込め、引っ込め。
だけどカラカラと頭の上から音がして、ころん、転がる。


「―と、言うわけで、英士くんって呼ばない?」

「……、…え?」
「寒いのに待たせてごめんねちゃん。…あれ?どうしたのお腹痛い?うわーごめんね大丈夫?中入る?」


時間が止まったみたい。
だけど、ころり、目から転がり落ちた金平糖に、置いてけぼりはわたしだけなんだと気付く。


「…どういうつもり?」
「わーっ!英士くん顔怖い凶悪過ぎてちゃん泣いてる!」
「え?」
「え、や、ちがっ…!」
「あたしと違ってちゃんは繊細なんだから気を付けなきゃ駄目だよー」
「…誰の所為だと」
「ごめんなさーい。お詫びに残りの作業はあたしが責任もって片付けるので、どうぞお先にお帰りください。 あ、ちゃんも水やり大丈夫だからね。ありがとう」
「……言いたいことは山ほどあるけど、ほんと、性質が悪い」
「おままごとに付き合ってくれた分と明日の日直代わってもらう分のお礼がしたかっただけでーす」
「そうやって笑えば許されると思ってるとこ結人とそっくりだよね」
「そりゃ双子だもん」


頭の上でぽんぽん飛び交う会話にわたしはただ目を瞬かせるばかり。
えーと、つまり、……うん?
クエスチョンマークに埋め尽くされたわたしに、「さん」。心地良い声が降る。


「鞄持ってる?」
「あ、はい」
「そこで待ってて。色々話したいから一緒に帰ろう」


わたしが答えるよりも早く、郭くんは窓から離れて、わたしの視界から消えてしまった。
残されたわたしは鈍い頭で何度も何度も紡がれた言葉を繰り返す。
そうして、じわじわと広がるこそばゆさに身動きが取れないわたしに降る、ちょっとだけ困ったような声。


「泣かせてごめんね」
「…え?」
ちゃんに嫌な思いさせちゃったよね。ほんとうにごめんなさい」
「……ううん。大丈夫だよ」
「ありがとう。これ以上あたしが勝手に喋ると英士くんが怖いから、続きは明日話しても良い?」
「うん」


頷けば彼女はお日さまみたいに微笑んだ。
ああ、わたし、声だけじゃなくて、この笑顔も好きだなあ。


「あ、お迎え来たよ」



Serenade



さん」


この音はこんなにも甘い響きだっただろうか。
わたしを呼ぶ郭くんの顔がほんのり赤く染まっているのは、夕日の所為だけじゃないと思ってもいいのかな?






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小夜曲(セレナーデ)...夕べに、恋人の窓下で歌い奏でられる音楽。
音楽のジャンルの1つであるが、一般的な言葉としては、恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景のことを指して使う。

Special Thanks*わかばさん
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郭英士誕生日企画サイト「0125」の2013年度に提出させていただいたお話です。